その理想と現実の狭間で、ある時は男女平等という理想・理念に軸足を置いて社会を構築・運営し、ある時は男女には一定の違いがあるという現実に立脚して理念の行き過ぎを修正するのが政治の役割であり、それを監視するのが識者の役割だと、私は思います。
延々と「悪魔の民主党政権よりまし」という理屈で正当化され続けた安倍政権時代についても、政治・識者がなすべきであったのは、「民主党政権よりましか」どうかを論じることではなく、「この政策・政権は理念として、現実として、適切に機能しているか?」を評価し、必要に応じて修正することであったはずです。そして、もしそのあるべき評価・修正がなされていれば、地味な少子化問題を放置し、政権の人気維持を最優先して、膨張する歳出を見て見ないふりをしながら、コストとリスクを無視して効果の上がらないアベノミクスを延々と継続し、コントロール困難なインフレ・円安・財政難を招く事態は回避できたのではないかと、私は思います。
共通の敵を作って「何でもかんでも○○が悪い」とする議論は、感心しないなりに実のところ日常生活の多くの場面で使われ、味方を団結させ、士気を高めるのに一定の効果があることは、それこそ現実主義的に否定しません。
しかし、国政を担う政治家がその論法を多用し、それを監視するはずの識者が無批判にそれに迎合して自らもその論法を多用し、国民がそれに扇動されてしまえば、社会は現実を無視した理想、理想を無視した現実に走ります。そしてその結果は、最初に走り出した方向が右(現実)だろうが左(理想)だろうが、日本の権益を守るための現実主義に始まったはずの軍国主義が勝ち目のない日米開戦に至って多大な犠牲者を出し、崇高(?)な毛沢東主義の理想を実現するために行われたはずの文化大革命が大きな混乱と死者を生み、MAGAという現実的利益の実現を求めたはずのトランプ政権下でアメリカの政府機能と経済的繁栄が失われつつあるように、国家の暴走による社会・経済機能の破綻という似通ったところにいきつきます。
私を始めとして政治に携わる者、それを監視する識者、そして何よりそれを評価する有権者の一人ひとりが、単純で直情的な「何でもかんでも○○が悪い」論法ではなく、理想と現実の狭間に揺れる世界を的確に見据え、政治と社会を評価・修正するたゆまぬ努力を続けることが、このBUNKAタブーを適切に楽しみ続けられる、バランスの取れた私たちの未来を創るのだと私は思います。
文/米山隆一
画像/Wikipediaより(撮影/Gage Skidmore)
初出/実話BUNKAタブー2025年12月号

PROFILE:
米山隆一(よねやま・りゅういち)
1967年生まれ。新潟県出身。東京大学医学部卒業。独立行政法人放射線医学総合研究所、ハーバード大学附属マサチューセッツ総合病院研究員、おおかた総合法律事務所代表弁護士などを経て、2016年10月に新潟県知事就任。2021年10月、衆議院議員選挙にて旧新潟5区で初当選。立憲民主党所属。
Twitter @RyuichiYoneyama

