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米山隆一が何でも「リベラルのせい」と言う人々に思うこと

社会
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しかし、まあ普通に考えて、自分の配偶者を妻と呼ぼうがダーリンと呼ぼうが「おい」と呼ぼうが「奥様」と呼ぼうが、それぞれが同意しているなら個人の勝手、人にとやかく言われることではありません。それと同じように、自分の配偶者のどこが好きかと聞かれて、頭が好きな人は頭が、顔が好きな人は顔が、心が好きな人は心が、足が好きな人は足が好きだと答えればよく、ああでなければならない、こうでなければならないというのはおかしなことです。料理だって最初は私も作っていたのですが、何回目かに「米ちゃんの料理は皆おんなじ味だからしばらくいいよ。私が美味しいのを作ってあげる」と言われてこうなっているのであり、「お前も作れ」は「お前の妻にお前のまずい飯を食わせろ」ということで、余計なお世話以外の何物でもありません。

こういうことは些細に見えますが、実際問題男性が女性を好きになる時、容姿の要素は相当程度に大きいし(そうでないならなぜこのBUNKAタブーに乗っているお姉さん方は皆素敵な美人でスタイルが良いのでしょう?)、男性と女性で料理の好き嫌いの違いは現にあって(そうでないなら、なぜこのBUNKAタブーと一緒にファミチキや超大盛カップ焼きそばを買っているのは男性ばかりなのでしょう?)、そういう自然に湧いてくる、恐らくは本能に根差した感情を否定されると、人は強烈な違和感と偽善性を覚えるものです。

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良くやり玉にあげられるトランスジェンダーのスポーツ大会への参加は本能とは異なりますが、学生時代多少なりとも競技スポーツをした私から見て、心が男性だろうが女性だろうが、男性の体のアスリートが女性の体のアスリートと戦ったら相当技術に差がない限り男性の体を持つアスリートの圧勝で、これを押し通したらいくら何でも不公正だというのは、ごく普通の感覚でしょう。

リベラルは、難しい理屈を言ったからとか理念が崇高すぎたからとかではなく、こういう本能や直感的な感覚に反することを言い、実際にそれを社会で強行したから反感を買ったというのが、本当のところではないかと、私は思います。

しかし、逆に言うと、それはあくまでそういう問題にすぎないのであって、私が奥様を何と呼ぶかでリベラルな支持者と喧嘩したが故に、安倍政権が効果の上がらないアベノミクスを延々と続けたことが正当化されるわけでも、トランスジェンダーの元男性アスリートが女性の大会で優勝したからチャーリー・カーク氏が暗殺されたわけでもありません(容疑者の恋人はトランスジェンダーだったと報じられていますが、それが事実だとしても別問題です)。ごく普通に考えて、「それはそれ、これはこれ」なのです。

リベラルと保守は補完し合う

そもそもリベラルと保守は、磁石のSとN、電気のプラスとマイナスのような、真逆の概念ではありません。よく言われているところで、リベラルは理念を元にした理想主義、保守は現実主義であり、本来それぞれが相対するものであるというより、補完し合うものだと、私は思います。

先程来書いた例にある男女の問題でも、理念としては男性も女性も生まれながらに平等で、容姿のように生来的で努力では変えようのないものではなく、個人の人格で評価されるべきなのは確かにその通りなのですが、しかし現実には、男女は生まれながらに異なる体をもって生まれ(とはいえ、ほとんどの臓器は共通ですが)、好みの食事も異なり、まあ正直生まれつきの要素で相手を好きになったり嫌いになったりするものです。

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