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米山隆一が問う女子枠は本当に必要か

社会
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かくいう私も、時代的に塾には通っていないのですが、突如有名高校受験に目覚めた中学3年生の夏休みに、東京の予備校(代々木ゼミナール)の2週間の夏期講習に参加しました。当時は1日5000円程度の旅館に泊まっていたのですが、それでも総額10万円程度にはなり(食費などを入れると総額20万円にはなっていたでしょう)、我が実家「セイジロー肉店」が「豚生ホルモン」のヒット商品を出していなければ到底参加はできず、また別の人生を歩んだのだろうと思います(もしかしてそのほうが政治家としては成功したかもしれませんが)。

経済的に恵まれない家庭に生まれたがために、受験で希望の大学に入学できず、埋もれてしまっているアインシュタインの原石のような才能は、もしかして少なくないのかもしれません。

しかし、この非常に大きな不利益に対する救済策として受験の「貧困枠」が設けられることは稀で、それを求める社会的機運もほとんどありません。意外に思うかもしれませんが、親の年収が低いことを理由として特別な受験枠を設けている大学、私が(ChatGPTに聞いて)確認できたところでは、札幌大学と成安造形大学くらいしかありません。もちろん親の年収が低い学生・受験生に配慮・支援している大学は多いのですが、そのほとんどは奨学金などの経済的支援で、私が卒業した東京大学でも、低所得世帯の学生に対する学費の減免、寮への優先枠、奨学金枠などがありました。

これは恐らく「勉強は本人のやる気と一定のお金があれば(例えば参考書を買って図書館にこもれば)できるのだから、救済策としてはそれで十分」という考え方、逆に言うと②手段の合理性について考えてみた時、「(一定の支援と自分の努力があれば不利な条件も克服できるのに)特別枠を設けるのはやり過ぎ」という考え方・社会通念が背景にあるのだと思います。

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最後に③是正による利益 について考えてみると、先程述べた通り「家が経済的利益に恵まれないために埋もれた才能」というのは、定量的に調べることは困難ですが少なくないと思われ、これが生かされる社会的利益は大きいと思われます。何より本人にとっても、経済的に恵まれない家庭に生まれても、経済的に恵まれた家庭の子供と近い条件で自分の才能・能力を生かす機会を得ることができるのは救いであり、その公平さそれ自体に社会的価値があると思います。

三つの観点から女子枠を考える

さて、前置きが長くなりましたが、それを前提として、受験の女子枠について、①不利の程度②手段の合理性③是正による利益、 について考えてみましょう。

まず①について考えます。OECDの「高等教育のSTEM(Science,Technology,Engineering,Mathematics:理工系)卒業者に占める女性の割合」を見ると、日本はOECD平均の33%よりはるかに低い18.1%で41カ国中41位の最下位ですので、女性が理科系に進みにくい何らかの要因があることは間違いありません。

しかし、「家にお金がないから塾に行けない」ことはあっても、「女の子だから理系の大学を受験できない」ということは考えにくく、基本的にはそれは、「両親が女の子に理工系への進学を勧めない(子供の進路選択に親の考え方は大きな影響を与えます)」「男子は理工系、女子は文科系という空気が世の中にあり、その影響で女子学生自身が理工系への進学を希望しない」ことが理由であると考えられます。

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