305回 さえぼうと『ダーティハリー』
さえぼうこと、武蔵大学人文学部英語英米文化学科教授でシェイクスピア研究、フェミニスト批評を専門とする、北村紗衣氏の『ダーティハリー』に関してつまらないと述べた記事を巡って変な騒ぎが起こっていた。当該の記事は太田出版のWebマガジン・OHTABOOKSTANDでの北村氏の連載「あなたの感想って最高ですよね! 遊びながらやる映画批評」の第3回「メチャクチャな犯人とダメダメな刑事のポンコツ頂上対決?『ダーティーハリー』を初めて見た」だ。
なんだかひどい怒りかたをしたり、北村氏を過剰に罵倒・侮辱している人がいるので読んでみたのだが、「えっ、そんな反応するような内容か?」と思った。
この連載は北村氏が見たことがなかった映画を見て感想を言うものだ。第1回「飲酒推奨映画? アルコールでジェンダー境界を越える『酔拳』」での北村氏の発言に、
なお本連載のタイトルには「感想」と「批評」の二つの言葉が使われています。私は感想を「思ったことをわりとランダムに、まとまっていない形で発してもよいもの」、批評を「ある程度まとまった形で作品を見て考えたことを発するもの」と考えています。もちろんこれは私が個人的に考えていることなので、そういうふうに分けていない人もいると思いますが。
批評の場合は、同じジャンルや周辺の映画をみたり、文献を読んだりして、事実誤認や解釈の誤りをチェックしないといけません。しかし感想の場合は、必ずしもその映画やジャンルについて詳しい必要はありません。気軽に話せる感想だからこそ面白いものが出てくるかもしれません。荒唐無稽な感想を人と話しているうちに、核心に迫るような読解に出会うこともあるでしょう。感想だからってバカにされる筋合いはないんですよ! あなたの感想は最高なんです!
これはカンフー映画にまったく詳しくない私が、『酔拳』を見た後に、アルコールや師弟関係といったポイントから感想を話してみたもので、間違っているところや不足もあると思いますし、批評という形にする場合は、他の作品を見たり文献にあたったりする必要があります。感想はアイディアの断片みたいなものなんですね。でも、その前の段階のものだからこそ、新しい面白さがもしかしたらあるのかもしれません。
とある。
そういったスタイルの実験的な試みであるのに、その前提を踏まえずに、批評としてどうかというようなことを言っている人すらいたのは本当にひどいなと思う。ここで語られているのは、あくまで感想なのだから。
記事内で北村氏の視点がわかりやすく呈示されていて、こういう人だったらこういう感想になるだろうなと思う。北村氏のあげているポイントが自分では思いつかないことばかりだったので面白かった。
自分は『ダーティハリー』が好きだし、今回改めて見てみて面白かったわけで、あの映画が好きな人がつまらないと言われて不快になる気持ちもわからないわけではないが、そんなに目くじらたてて公共の場で攻撃するような話ではないと思うし、どうかと思う。『ダーティハリー』が好きな人間はゴミカスみたいに言われていたわけでもないのに、反応が過剰だ。
なぜここまで?
何かのコンテンツについて否定的な感想を述べると、ファンから攻撃されるのはよくあることだ。否定的でなくても解釈の違いでも起こったりもする。叩く側・叩かれる側が男性でも女性でも起こり得ることだ。
ただ、過剰な侮辱が伴う場合、相手個人や属性を憎んでいたり、なめている場合が多い。自分もそういうことはたまにある(相手の人数が少ないから騒ぎにはならない)のだが、明らかにこっちをなめているというのがわかりやすい人が多い。また、自分に対してもとから悪意を持つ人が無理矢理な理屈で叩いてきたり、自分個人に関してはほとんど知識がないが属性に対する憎しみからわけのわからないことを言われることもある。