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さえぼうと『ダーティハリー』:ロマン優光連載305

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北村氏に対する反応も、北村氏がなめられている、憎まれているのがうかがえる。普通に考えて、北村氏の実績やSNS上での言動を考えれば、ああいう人をなめたりしないと思うのだが。それにもかかわらず、なめた態度の人の数が多いのは女性という時点でなめているということだろう。今までの北村氏個人の言動に対する反発から、叩く人が多かったと考える人もいると思う。しかし、それも「もの言う女性」に対する反発が根底にあって北村氏に対する反発が育っていったのもあるだろう。

誰に対してもなめた態度で攻撃的な人もいるだろうが、相手が生意気でいけすかない女性だから言葉が走った人も多いだろうし、同じことを権威ある男性が言い、SNS上で北村氏と同じ対応を取っていたとしても、ここまで騒ぎになっていたかはわからない。そもそもああいう対応を取るような発言は少なかったのでは。

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また、作品に対して既存の評価と違う価値基準や視点で再解釈するという方法論は普通に存在するわけで、特に珍しい話ではない。肯定的でない評価に対する反発に加え、その価値基準や視点自体に対する反感があったため「なんでここまで?」みたいなことになったのでは。

そう考えると女性蔑視がそこにあると言われても反論できない気はする。

ニューシネマ論争…

北村氏は、本文中で『ダーティハリー』はアメリカン・ニュー・シネマだとは言ってないし、アメリカン・ニュー・シネマに対する解説も一般的で妥当なものだとおもうのだけど、なぜか『ダーティハリー』はアメリカン・ニュー・シネマだとは言ってることになっていたり、解説がおかしいみたいなことで攻撃している人がいるのは不思議でならない。

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アメリカン・ニュー・シネマの定義がどうこうというのを言い出したnoteの主の書いていることは自分の考えているアメリカン・ニュー・シネマと違うので北村氏の発言は間違っていると言ってるだけで、別に北村氏の言っていることが間違っているわけではない。note主は北村氏にX(旧ツイッター)で詰められてアカウントを消して、Blueskyで北村氏をいじっていたのだが、それも見つかって怒られていた。プラットホームを変えたら公開で相手のことをネタにするような発言をしても大丈夫だという神経がわからない。言動の責任は個人についてくるわけで、プラットホームを変えても消えないし、リアルの人生につながっているのがわからないような人というのは本当にビックリさせられる。

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