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あの頃の創価学会:ロマン優光連載267

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267回 あの頃の創価学会

1972年生まれの自分が初めて池田大作という人の存在を強く意識したのは小学校高学年から中学生くらいのころ、街中に貼ってあった池田氏と創価学会を糾弾する内容が書かれた貼り紙によってだった。当時自分が歩いていた街中の光景が朧気になっていく中で、これと横田めぐみさんの消息を求める貼り紙はなぜか鮮明に覚えている。

明確にその名前を意識したからといって、なんでそんなに糾弾されているのかはいまいちわからなかった。一方で池田氏が創価学会の人からおそろしく崇められているのはなんとなく知っていたが、信者でない自分にとっては、なんでそんなに崇拝されているのか、なにをしている人だかよくわからない存在だった(この原稿は、小学生から大学生くらいまでの自分の、池田氏や学会に関する記憶に触れている部分があるのだが、そこで「よくわからなかった」と書いてあるからといって、今現在わからないとか知らないとかそういう話ではないのはお断りしておく)。池田氏にもメディアを活用して外部にアピールしていた時代はあったが、自分が小学校高学年になるころはすでに、言論出版妨害事件で大きな批判を浴び派手な行動をとらなくなって以降にあたる。となればテレビのようなメディアには池田氏についての具体的な情報がなく、「内部では神格化されているらしいけれど、どんな人かさっぱりわからない」と私は感じていたのだろう。

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創価学会自体に関しては、そんなにいい印象があったわけではない。80年代は50年代~60年代にかけての祈伏大行進の記憶も鮮明で、学会の祈伏の強引さみたいなものは周りの大人から聞いていた。集団で個人の家や他の宗教の施設におしかけていって改宗を迫ったり論争を迫るだなんて迷惑だし、恐怖でしかない。

謗法払い(という名称は大人になってから知ったが)といって、日蓮宗に入信する際に他の宗派や宗教の仏壇、神棚、十字架といったものを燃やすということがあるのだが、家族の1人が入信した結果、入信者以外の家族の信仰していた宗派や宗教のものが勝手に壊され燃やされるという話を聞いたり読んだりもした。

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