銃撃事件での振る舞いでトランプ前アメリカ大統領が称賛を浴びていますが、トランプ氏が過去に様々な「暴力」を扇動、放置してきたことも忘れてはいけません。そういった暴力の肯定は何につながるのか。米山隆一衆議院議員が解説します。
第9回:トランプ氏銃撃-私たちはいつまで実話BUNKAタブーを読み続けられるのか?-
7月13日、ペンシルバニア州で開かれていたアメリカ大統領選挙に向けた共和党の集会でトランプ氏が銃撃された事件が世間を揺るがせています。これを契機にトランプ氏を、「強運と迫力に畏怖せざるを得ない」「何という凄い政治家なんだ」などと褒め称える橋下徹元大阪市長を始めとして、にわかにトランプ氏を称揚する人が後を絶ちません。
勿論、トランプ氏に対する暴力は決して許されてはならず、既に射殺されているとはいえ犯人には、最大限の非難が加えられるべきです。しかし当然のことながら許されてはならないのは、「トランプ氏に対する暴力」だけではなく、「全ての暴力」です。そして残念なことにそこには、「トランプ氏が大統領選挙後に煽動した暴力」「トランプ氏が大統領在任中に放置した暴力」も含まれているはずです。
今回の事件ですっかり忘れられていますが、トランプ氏は、2020年の選挙でバイデン氏に敗れた後、「票が盗まれた」という陰謀論をでっち上げ、支持者たちが国会議事堂に乱入することを煽動した人物です。また同年にデモ・暴動に発展したBLM運動に対し、根本的な解決の方針を示すことなく、軍隊での鎮圧をちらつかせた人物でもあります。
そのトランプ氏が、何か素晴らしいことをしたわけでも、人格が変わったわけでもないのに、「暴力の標的なった」という理由で神の如く称賛され、誰も文句をつけられない存在として絶大な支持を受け、世界最高の権力者、アメリカ合衆国大統領になった時、氏が、自分自身に向けられる以外の暴力を、抑えてくれる保証はどこにもありません。
むしろ過去の氏の行動を見る限り、氏の気に入らない事態を覆す為なら臆面もなく暴力を煽動し、社会的弱者に向けられた暴力は放置する可能性のほうが、はるかに高いだろうと私は思います。その時、アメリカの民主主義は本当に持つのか、曲がりなりにも選挙で大統領に選ばれているプーチン大統領が絶対的な専制権力を握るロシアのような国になってしまわないのか、私には確信が持てません。
戦後79年を迎える今、多くの国民は生まれた時から民主主義の世の中に生きており、民主主義が当り前だと思っています。しかし逆に言うと、わずか79年前、日本に民主主義はありませんでした。