384回 東京ロッカーズ私観
最近、Xの自分のタイムラインで「東京ロッカーズ」という言葉を目にすることが増えた。
これは映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』(監督・田口トモロヲ 脚本・宮藤官九郎 主演・峯田和伸)が公開されることが原因だろう。
当時、東京ロッカーズ周辺でマネージャーやカメラマンを務め、日本のインディーズレーベルの先駆けの一つになるテレグラフ・レコードを設立し、東京ロッカーズの後続シーンに貢献した地引雄一氏の自伝的エッセイ『ストリート・キングダム』が原作。筆者も20代前半の時のこの本を読んだが、当時のシーンの資料として非常に重要なものだ。
東京ロッカーズを含む70年代後半から80年代にかけての日本のPUNK/NEW WAVEムーブメントを扱った『別冊ele-king J-PUNK/NEW WAVE-革命の記憶』が刊行されることになったり、雑誌『レコードコレクターズ』で東京ロッカーズ特集が組まれたり、この映画の影響で東京ロッカーズとその時代のPUNK/NEW WAVEシーンに関する刊行物も増えている。
自分は72年生まれで東京ロッカーズ・ムーブメントの頃はまだ小学生で完全に後追いの世代である。
中3ぐらいからPUNK/NEW WAVEを聴きだして、大人になるにつれ東京ロッカーズにも触れていくことになるのだが、いい機会なので自分も私的「東京ロッカーズとその周辺」観を書いてみようと思った。
基本的なことをおさらいしておこう。
70年代後半に中央線沿線で「ジャンプロッカーズ」という企画で活動していたミラーズ、Mr. Kite、スピード、フリクションの4バンド。
プロトパンク的なグラムロックをやっていた紅蜥蜴が改名したリザード。そういえば、漫画『ラーメン再遊記』でラーメンハゲこと芹沢がボーカルのモモヨと思しき人物をディスっていてビックリ。
作曲家やヤマハの音楽雑誌の編集者として活動していた田中唯士が70年代終期のNYに滞在した際にNYパンクムーブメントに影響を受けて帰国後に結成したS-KEN(S-KENは田中のアーティストとしての個人名でもある)。
78年から田中が自分の所有するレンタルスタジオ・S-KENスタジオでシリーズ・ギグ「東京ロッカーズ」をこの6バンドを中心に主催。これが東京ロッカーズという名称の由来となる。
スピードは後に離脱。
