『東京ニュー・ウェイヴ’79』の方もPAINはNYパンク的な空気感のロックバンド、自殺はThe Stooges系のプロトパンク、8 1/2はポストパンク、メンバーの年齢が低いBOLSHIEも「ノスタルジック・ボーイ」を除けばポストパンク寄りのサウンド。SEXのみがわかりやすく爽快なパンクロックを披露している。
後のAuto-Modを結成するジュネが在籍したMaria. 023、高木完が在籍したシーンでは最若手だったであろうFLESHにしても一般に想像されるストレートなパンクロックというには癖が強く、風変りである。
この日本最初のパンク的ムーブメントはプロトパンク的なものとポストパンク的なものが交錯するものであり、ロンドンパンクではなくNYシーンから影響の強い、年齢層が高く、アート的な要素の強いものだったということだ。
一番で出来のいいものが一番好きなわけではない
このムーブメントがこういう方向性のものになった理由はいくつか考えられる。
まず、中核となるバンドのメンバーの多くはパンクロックに影響を受けてバンドを始めたのではなく、それ以前から音楽をやっていた人が多いこと。FLESHやBOLSHIEに関しては、先輩バンドの影響がストレートに出ていたということだろうし、そうとう高感度でトンガった少年たちだったということなのだろう。そういうところも東京ローカルという感じがする。
フリクションのレックとチコ・ヒゲとミラーズのヒゴは3/3というバンドで75年にアルバムをリリースしているのだが、そこではプロトパンク的なハードロックが演奏されている。2枚組CDで再発された際に加えられた76年から77年のライブ音源ではThe Velvet UndergroundやThe Kinksのカヴァーや後にフリクションで発表される曲がプロトパンク的アレンジで演奏されており、彼らのルーツがどこにあったのかがうかがえる。
リザードに関しては紅蜥蜴時代の正規音源もそうだが、YouTubeにあげられているライブ音源を聴くと初期の彼らが非常にThe Stooges的なプロトパンクを演奏していたのが確認できる。
スピードには村八分の元メンバーが在籍していたし、自殺は山口富士夫のソロをカヴァーした以外にも随所に村八分の影響が垣間見え、そういった日本のアンダーグランドなロックとも地続きなムーブメントであった。
PAINのボーカルであり音楽評論家の鳥井賀句のインタビューが掲載された『Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第11話/鳥井賀句『ブラックプールから見る景色/スピード/ペイン/東京ロッカーズ』(indies press)というnoteの記事がある。当時、鳥居がブラックプールというロック喫茶を経営していた頃の話をしているのだが、初期フリクションのギタリストのラピスが裸のラリーズが好きだったという証言がある。
鳥居のインタビューは、シーンに参加した人の多くがパンクで音楽に目覚めたというよりも従来からあったアンダーグランドのロックに傾倒していたような人だったということが伝わってくるものだった。
