まずは、NPBで前人未到の400勝をあげている金田正一。
金田本人も「三冠王のマントルから3三振を奪った」「観光気分のヤンキースの選手が目の色を変えた」「ストレートとカーブだけで打ち取った」「日本人で唯一アメリカにスカウトされた」「メジャーに行っていたら年俸30億」と豪語していた。どうやら日米野球でも大活躍だったようだ。
まずは、三冠王のマントルが来日した1955年の日米野球の成績を見てみる。期待大だ。
???。相当に打ち込まれている。本当にメジャーからスカウトがあったのだろうか?
いやいや、金田が嘘を言うわけはない。おそらく、対戦チームや年代を記憶違いしていて、たまたまこの年の日米野球で打ち込まれただけだ。ならば、通算成績を見てみよう。
通算だともっと成績が悪化していた。
残念ながら、金田がメジャーで通用していたとは到底思えない。
メジャーではフォークボールやスプリットなど、縦に落ちる変化球が有効と言われている。
なら、フォークの神様と呼ばれた杉下茂はどうだろうか? 野茂英雄のようにフォークでバッタバッタと三振の山を築いてくれるはずだ。
神様の称号が恥ずかしいレベル。杉下の伝家の宝刀も、メジャー選手の前では棒球同然だったようだ。
実は、別所毅彦、スタルヒン、稲尾和久と名だたる名投手も日米野球でめちゃくちゃなまでに打ち込まれている。別所は310勝、スタルヒンは303勝、稲尾は276勝しているが、レベルの低い日本でだから達成できた数字なのだ。勝利数ですごいと思ってしまうが、所詮は井の中の蛙なのだ。
しかし、そんな散々な日本人選手の中で、1人だけ好成績を残している投手がいる。
それは村山実だ。
1962年のタイガースとの日米野球で、8回2死までノーヒットノーランの快投。結局2安打完封をしているのだが、この登板以外でも安定した通算成績を残している。
ただ、もっとも成績が良い選手でもこの程度なのである。
メジャーの選手が鼻くそをほじりながらプレーしていたことを考えると、往年の名選手でメジャーで通用する人は1人もいないだろう。
そもそも、沢村賞の沢村栄治すらも、1934年の日米野球で0勝4敗防御率7.85と散々なのだ。
昔の選手がメジャーで通用したというのは、おじさんたちが過去を美化しすぎているからなのかもしれない。
写真/金田正一