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痛風がムカつく!:箕輪厚介「今月これにムカついた」 連載5

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それ以前から、そもそも痛風を気にして酒を頼むときに水も頼む奴を「人生終わってるな」と冷めた目で見ていた。イクラはちょっと…とか、キャビアは少なめで…とか、尿酸値をあげやすい魚卵を避ける人がいれば「人生、何が楽しいの」と思っていた。

痛風はそれ以来、4回くらい体験している。最初は「人生が終わった」と思ったが、一度経験するとそれほど怖くない。1週間くらいは痛いけど、結局は治ることがわかってるから。でもなった時はやっぱりムカつく。

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「ブス」という言葉

ムカつくってほどでもないけれど、ネガティブな言葉がどんどん使いにくくなっているのはどうかと思う。

例えば「ブス」は昔ほど公の場では言われていない。だけど、実際には人の美醜にはみんな敏感だ。

今はマスメディアで伝えられる言葉の綺麗さと、人間の心の実態の差が開きすぎて、逆に気持ちが悪い気がするくらい。

村上龍はかつて「美人は3日で飽きるというのはブスを自殺させないための嘘だ」と書いている。もちろんそれを今、公の場で口にしたら大問題だろうけど、そういう部分もあるかなと思わないでもない。

でも、実際に思っていることを言わないという行動様式が当たり前になると、世の中の真実を見ないようになるだけで、実態が覆い隠されていく気もする。このままだとメディアで表向き使われている言葉だけがホワイトでクリーンな方向に向かっていき、実態との距離がただ広がるだけだ。

そういう空気が蔓延してきた場合、その発散の場所として、テレビのバラエティ番組や文学がある。「ニュースや学校の校長先生の話は綺麗ごとを言うが本当は違う」ということをテレビの世界ならビートたけしとか松本人志、文学の世界なら村上龍が担っている。

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「本音は違う」という意見に救われる人もいるはずだから、そういう言葉の表現を、厳しく見るのはどうなのかなと思う。本や映像などの表現活動の分野にまで政治家の失言を叩くレベルでの厳しい視線を向ける必要ってあるのかな。

好きな人がお金を払って楽しむコンテンツならば、傷つきたくない人が見なければいいんじゃないか、と僕なんかは思う。むしろ、人間の心が本当に思っていることを言えない方が窮屈でおかしくなる。

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