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吉田豪インタビュー:中村ゆうじが語る はらみつおのジャンキーっぷり

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発売中の『実話BUNKAタブー』の吉田豪インタビューに中村ゆうじさんが登場。もちろん田端グループについても訊いているぞ!

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「嫌な芸人だなーと思って」

3月15日(金曜)発売の『実話BUNKAタブー』5月号にて、中村ゆうじさんのインタビューが掲載されている。インタビュアーは吉田豪。

中村ゆうじは70年代後半からパントマイムを始めるというパントマイムの先駆者的存在。その後、「最下層の芸人が集まる」とされる渋谷道頓堀劇場で杉兵助に弟子入りして、はらみつおらと〝東京バッテリー工場〟を組んだり、シティボーイズらと〝ラジカル・ガジベリビンバ・システム〟に参加したりする。『TVチャンピオン』(テレビ東京)でのレポーター仕事は、誰もが知るところだろう。

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前回のインタビューで、杉兵助のヒ○ポン狂いの話が出たが、中村ゆうじはそんな彼の弟子。その話について伺うと…

 杉兵助先生は世代的にヒ○ポンとかもやってたって、ホープさんから聞きました。
中村 そうです。それで足が悪くてビッコひいて歩いてるから。

もともとコント赤信号が杉兵助の弟子だったのだが、中村ゆうじはそれを引き継ぐ形で弟子となった。

中村 赤信号が抜けたら道頓堀劇場で杉先生の相手役がいなくなっちゃうんで、「中村、3日で返事考えてくれ」って言われて。その頃、僕もパントマイムはもう学校に通っても習うことはないなっていうぐらい自分なりに上達してたんで、ストリップ劇場のコメディアンか……やってみようかと思って入ったんですよね。そしたら、そこから3年間。
 「最下層の芸人」と呼ばれるストリップ劇場の世界で活動することになるんですね。
中村 そうそう。そしたらナベさんが、それまで友達だったのに、「おまえ、この世界に入ったら俺たちが先輩なんだからタメ口きくな」って言われて、「えぇーっ!? 俺もう友達じゃないんだ!」って(笑)。
 ダハハハハ! 仲間だったのに(笑)。

そして、みんな気になる〝田端グループ〟。普通に〝田端グループ〟という言葉を使ってるが、当時活動していた東京の芸人も知らないくらい、マニアックな言葉ではある。そんな田端グループのはらみつおが当時バカ売れしていたコント赤信号に対抗し、中村ゆうじとともに〝東京バッテリー工場〟を結成するのだが…

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中村 一緒に車に乗せられて、新宿の東口にシンナーとか買いに行くんですよ。
 ダハハハハ! トルエンとかシンナーとか新宿の駅前で売る人がいた時代ですよね。
中村 うん。リポビタンDの瓶に入れて売ってたでしょ? あれ買いに行くんですよ。で、それ自分の部屋でやってるんですよ。
 中学生とか高校生ですよ、それ(笑)。
中村 なんだよこの人と思って。田端グループ大嫌いだった、ホントに。みつおさんが田端グループの申し子みたいな人だったじゃないですか。嫌な芸人だなーと思って。
 そういうことだったんですね。

はらみつおに関する話はまだまだ続く。

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中村ゆうじさんの芸人人生を見ると、80年代の東京のお笑いがよくわかり、資料価値もあり!

『実話BUNKAタブー』5月号を読むしかないな〜。

 

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