PR
PR

北野武監督作『首』は面白い:ロマン優光連載268

連載
連載
PR
PR
PR
PR

268回 北野武監督作『首』は面白い

『首』はすごく変な映画だった。これを受け入れられない人がいるのはわかる。この作品がいわゆる「映画」になっていないからだ。だから、本格的な時代劇・歴史劇や北野武映画を求めていた人の評価が低くなる場合があるのは理解できるというものだ。

ただ、個人的には面白かったし、興味深い作品だった。

ビートたけしは秀吉に全く見えない。秀吉の衣装を着て秀吉コントをやっているビートたけしにしか見えない。言動もビートたけしがコントでやっているようなことばかりである。観るまでは、当時の秀吉を演ずるには老人すぎるとか、他のキャストの年齢との兼ね合いとか、猿にもハゲネズミにも見えないなど不安だらけだったのだが、秀吉の衣装を着て秀吉コントを演ずるビートたけし以外の何者でもなかったことにより、メタ構造を獲得(自分の脳内での認識にすぎないが)することになり、不安になっていた部分は全く気にならなかった。

PR

劇中、たけしの登場シーンを中心にビートたけしのコントで起こりそうなこともよく起こるのだが、別にコメディというわけでもない。それらの出来事が笑わせようとしているような感じには見えないからだ。

私は、北野武監督として評価されたり文化人・思想家であるような扱いを受けてからもかたくなに続けていた、つくりも雑で演者の演技も練り込まれていないビートたけしのテレビコントのひどすぎるところと虚無的な感じが好きだった。自分は文化人などでなく芸人であるというビートたけしの想いと、面白いと思ってやっているのかどうかもわからないところ、ただただくだらなく意味のないところが好きで見ていた。いつものコントでの振る舞いが、笑いを前提とする枠組みから外れた場所にあることで、そこに見え隠れしていたように思われる世の中全て意味も価値がないという思想が全面に出ることになった作品だと思う。

北野武監督作品というアドリブの力が試される現場、ある意味で自分が自由にやりたいことを許される現場で、力量のある役者たちがやりたいことを全部やるというような力のこもった演技をすることによって、たけし軍団が肩の力が抜けすぎたような風情で雑に演じていたコントのような内容が違った地平に達してしまったことによって、奇妙なグルーヴを生んでいるということもあるかもしれない。

タイトルとURLをコピーしました