紛れもないサイバーパンク作品
そういうわけで読んで観た感想を一言でいうならば「本当に面白い!」である。
まずめんくらったのは吹き出しがないこと。通常の登場人物のセリフは吹き出しにおさめるという形式に慣れたものからすれば読みにくい。絵柄も現在の流行のものとはかけ離れているし、現代漫画の基準で考えれば上手いわけでもない。いや、もっというなら現代で一般的に考えられている漫画の描き方ではない描き方、道具の選び方で描かれている。商業漫画であれば、普通にありえないようなところが多くある。AIというものについて良くわかってないのではないかという疑惑もある。しかし、本来だったらマイナスになりそうな部分も全部ひっくるめて、本当に面白いのだ。
人類とテクノロジーが身体的に融合されたハイテクノロジーなディストピア的な社会で反抗的な主人公が闘うというサイバーパンクの基本がおさえられた、紛れもないサイバーパンク作品。そもそも、泉谷自身が美術を担当した映画『爆裂都市』(石井聰亙)はサイバーパンクという言葉が世に出る前の1982年に生まれたプロト・サイバー・パンク作品だった。その上、「七人の侍」ものでもある。これで面白くならなかったら詐欺だと思う。あと、一人称「おで」っぽい人の一人称が本当におでなのもいいところだ。
大友克洋の『AKIRA』、映画『マッドマックス』シリーズ、映画『ブレードランナー』、H・R・ギーガー、アメリカのSFファンタジーコミック誌『HEAVY METAL』誌の影響がうかがえるビジュアルと雰囲気(泉谷本人によるとシド・ミードからも影響を受けたようだ)。これらの多くがサイバーパンクというジャンルが成立する以前の70年代後半から1982年にかけて生まれたものだ。こういったまだ名付けられていないころ特有の得体の知れない衝動というものが、2025年だというのに『ローリングサンダー』からは伝わってくる(ちなみに作中の舞台は2025年ということになっているが、あくまで架空の2025年であり、思いきりサイバーでパンクな世界だ)。
とにかくビジュアルがかっこよく、戦闘シーンがかっこいい。確かに絵は今の基準では決してうまくないが、デザインと見せ方がかっこいい。
サイバーパンクといえば、ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』がはずせないわけだが、『ローリングサンダー』は小説で言うならばギブスン作品というよりも、ブルース・スターリングが監修したサイバーパンクアンソロジー『ミラーシェード』に収録されているマーク・レイドローの『ガキはわかっちゃいない』やジョン・シャーリー『フリーゾーン』のようなサイバーよりパンクによっている作品のテイストに近い。たたただ、意味もなく、なんとなくかっこいい、あの感じ。
話はそれるが『フリーゾーン』は長編の一部が収録されたものであり、話が盛り上がってきたとことで終わってしまう。発売当時、「きっと早川が長編自体を翻訳して出してくれるに違いない!」と期待していたのだが、未だその願いはかなっていない。ジョン・シャーリーはパンクバンドをやっているということが解説に書いてあり、「どんなバンドだろう? 聞いてみたい!」と思っていた。情報が全然ないまま時はすぎたのだが、90年代後半にGrand Theft Audioというレーベルから出ていた『All For One… One For All』(Agnostic Frontのロジャーの怪我のベネフィットのために作られた)というハードコアパンクのオムニバスのライナーノーツを読んでいた時にSado-Nationのメンバーだったことを知る。ジョン・シャーリーがSado-Nationのメンバーだということを人と話したくても、作家・ジョン・シャーリーを知っているようなSF好きはSado-Nationを知らないし、Sado-Nationを知っているようなUSハードコア好きの人は作家・ジョン・シャーリーを知らず、誰とも話せないでいたのだが、サイバーパンクについて書く機会もそうそうないだろうし、ついでに言わせてもらいました。邦訳のほとんどないジョン・シャーリーだが吸血鬼テーマのアンソロジーに入っていた『喘ぐ血』『囁く血』(祥伝社)にそれぞれ入っていた二作も良かったし、Sado-Nationは『Johnny Paranoid』という曲が好き。