58本目・『0課の女 赤い手錠』その第九回
「『0課の女 赤い手錠』その8」
誤読されているかたもおられるようなのは私の文章展開の失敗に他ならない。
私がいま記したいのは観客に好かれようとする出演者は映画の邪魔になる、ということだ。
とくに悪役。悪い役が登場する映画。その悪い奴がひどいめにあったり、だれかにやりあげられたり、やりこめられたり、大きな意味で制裁を受けたり、そうすることで見ている観客の溜飲を下げる映画。
映画に限らず昔ばなしなんかでもありますがね。
いじわるじいさんがひどいめにあうような昔ばなし。
実際の世の中はそうでもないのでね。
社会も学校も。
先生にゴマすったり、社会や会社なら権力者にゴマすったり、そんなやつがうまくいく。
ちなみに学生時代、そんなやつ、やつらがいた。
不良気取りのくせに先生の前ではゴマすったりあどけない少年のような顔を見せたりして、教師も教師で、
「おまえはほんとうにかわいいやつだな、おもしろいやつだなー」
とか言って。てへ、みたいに舌を出しておちゃめな顔をしたりもしていたな、気色悪い。
ネット界隈ではBBQ(バーベキュー)に女を誘った誘わないが大問題になっているがそれなんかもそうだね。きっと世渡りや人あしらいのうまいやつらが男女問わず集まっているのであろう。地獄である。
実際、世の中はそんなものである。
現実社会は地獄である。
私がそれに気付いたのは十代の半ばだったがそのときの気付きが間違いではないということを実証する人生であった。
壮絶な戦争、紛争地域があったも誰が止めるわけでなくむしろ我も我もと参加していく世界である。私も止めないひとり。地獄の構成員である。
そんな地獄から脱出が無理でも、すこしでも距離を置くには自分で居場所を作っていくしかない。そのための人生であったように思う。
人に好かれようとするやつ。
いい人ぶるやつ。
誰かを攻撃するのが好きなやつ(自分はいい人です、と暗に言っている)。
人のあげあしをとるのが好きなやつ(自分はいい人です、と暗に言っている)。
そういう人間からは距離を置くしかない。