月日が経ち、上京した自分はドゥーム、メタル、ストーナーロック、スラッジといったジャンルを聴くようになりオジー時代(『Sabotage』まで)のサバスをそういった観点でとらえなおしたり、田舎では見れなかったオジーのソロのMVを観たり、サバスのテレビライブの映像が収録されているBeat-Club(ドイツの音楽番組)のレーザーディスク(日本版がでていた)を大学の図書館で観たりしていた。オジーの奇妙なジャンプとか、手を上下に開く猿みたいな手拍子とか、顔の表情の凄さといった魅力によりひかれていったのは当時よく一緒にいたDMBQの増子さんの影響がある。
オジー本人と会えるかもしれなかった
初期のロマンポルシェ。でオジーの「Mr. Crowley」のイントロのキーボードのところを出囃子(?)に使っていたのだけど、あれは掟さんの趣味だ。
そういえば、オジー本人と会えるかもしれない機会が一度だけあった。2003年のことなのだが、ロマンポルシェ。がリリースしていたMUSIC MINEというレーベルに当時のSONYのオジー担当の人が何故かデスクを構えていて、その縁で掟さんが当時『BUBKA』でやっていた連載にオジーがプロモーションとしてとして登場することになり、自分も撮影に参加することになった。ほんとにおどろいた。
緊張のあまり、なんかバタバタしているうちに出るのが家をギリギリになってしまった。普段は徒歩で家から駅まで20分ぐらいかけて向かっているのだが、バスに乗れば全然余裕で間に合う時間だったのでバスに乗ろうとしたが、こういう時に限って遅れていて来ない、そこで大通りまで走っていってタクシーを止めて「これで余裕で間に合うな」と思いながら乗ろうとしてたらパトカーがそこに突っ込んできて、警官にタクシーに乗るのを阻止されたのだ。
「パトカー見て走ってにげただろう!」
いや、別に見てないし、パトカーの存在に気付いてなかったよ!
そこから職質が始まり、これこれこういう事情で急いでいたのです(余計に頭がおかしな人だと思われた可能性がある)と説明しながら素直にそれに応じたのだが、いっこうに開放されない。そんなに入念に調べても、鞄からでてくるのはロマンポルシェ。の衣装だけだよ!
衣装に関してもなんだかんだ聞かれ、本人も忘れていた胸のポケットに入れっぱなしのタバコの包装ビニールを「それはなんだ!」と言われて出して見せたら、アテが外れて腹が立ったのか「ご協力ありがとうございます」もなくプリプリしながらパトカーに乗って去っていった。ほんと長いことかかった。