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豊臣秀長の残酷で無能で守銭奴な真の素顔

歴史
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大名としてこうした蓄財ができたのも、「ならかし」のような民衆から搾取する仕組みを導入し、自らの領国で平気でおこなっていたからだ。

秀長は領国の統治の仕方も強引だった。本拠地としていた大和郡山城下を発展させるために、それまで栄えていた古都・奈良では一切商売をしてはいけない、という通達まで出している。郡山城を繁栄させたいがために、奈良の商人たちからすれば身勝手な通達にもほどがある。やはり権力者としては兄の秀吉と同様、私利私欲にまみれた独裁志向だったのだ。

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昔の通説は低評価武将の筆頭

これまで紹介してきたように明らかに無能でクズな秀長だが、過去の書物を見てみると、低評価だらけ。

小瀬甫庵が記した『太閤記』のなかでは、無能な親族の筆頭として、豊臣秀次や小早川秀秋らとともに名前を挙げられているし、評論家の山路愛山が明治期に著したベストセラー『豊太閤』でも、「能力は劣るが、他に人もいないから、重用せざるを得ない親族」というぞんざいな扱いで紹介されている。

そんな中で秀長を比較的評価しているのが、ベストセラー作家の司馬遼太郎。小説『豊臣家の人々』のなかで、司馬は秀長のことを「天性の調整家であり民政家」、「粗漏な者の多い秀吉の血縁のなかで、この小一郎だけが奇蹟といっていいほどに傑出している」などと褒め立てている。しかしその一方で、秀吉の名軍師の竹中半兵衛の言葉を借りるかたちで「教えられた以上のことをする才覚はない」とも評している。

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