ほんこん、フィフィ、北村についてもそうだが彼らの発言の妥当性を検証したこともないのではないだろうか。
自身が保守の星と言われていると発言し、そう言ってる人もいるかとは思うが別にそれが浸透しているわけでもないのになんだろうという気がしないでもないが、これは最近彼が凝っている生成AIでの昭和歌謡作成についてXで投稿した際の、
そしてこの世の中から昭和歌謡曲が消滅した時、その頃はこの世にいない名人立川志らくが残した談志との想い出の歌として、ほんの少しでも陽の目があたればいいと、考えての配信。
の「名人立川志らく」と同じような大言壮語ギャグなのではないかと思う。
しかし、あまり様になっているとも思えない。
基本ズレてるのだと思う。
志らくは身の丈に合ってないことをやっている?
ズレてるといえば、小泉今日子がバラエティはくだらないから出ないと『文春オンライン』で発言した時に「そのくだらない世界に命をかけている人も沢山いる」と反論していたが、記事を読めば現在のバラエティの在り方について批判しているわけでバラエティの存在自体を否定しているのではないのがわかりそうなものなのに、反論として外れていると思った。それとも記事も読まずに反論したのだろうか。
茶化すと言っていたが例に挙げているのは、蓮舫が哀れな論評と言ってきたが志らくのまわりでは哀れな蓮舫と言われているというもので、なんというかあんまり変わっていないのでは。
SNSで叩かれてきた志らくの発言の中にはギャグのつもりだったものも含まれていただろうし、それが叩かれるのはギャグとして成立してないからではないか。
これから茶化す方向でといったところで、政治的発言をするから叩かれているわけではなく、左右の思想的対立以前の発言内容の適当さで叩かれている部分が大きいのに今迄と同じように雑な認識の上で志らくのセンスでやっていたら結局同じようなことになると思う。
緊急記者会見動画でも、談志が降りてきて志らくいい加減にしろと言っていると、真面目になりすぎたことを叱られているとして政治コメンテーターを辞める理由にしているのだが、こんなことにも談志の名前を出さなければいけないのかと思う。談志を尊敬しているのはよくわかるが、はたして談志が自分の行動を説明するのに他人の名前をもってくるだろうか。そこがオリジナリティかもしれないが。
結局、志らくは談志を意識しすぎて身の丈に合わないことをやっているのではないか。
