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ガンダム歴代映画 全部が全部つまらない【前編】

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上映中の映画『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』が史上最高に大人気。というわけで、過去のガンダム映画を改めて観てみました。そんで解説します。本数がやたら沢山あったので記事は前後編に分かれてますよ。
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キモいガンオタよ、頭を冷やせ

映画『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』が、ガンダムシリーズで史上最高の興行収入らしい。次いで、『めぐりあい宇宙編』『閃光のハサウェイ』といった順だ。観客動員数でも歴代トップの模様。

これにどよめいたのが、昭和のガンオタ。「『めぐりあい宇宙編』の記録を遂に塗り替えちゃったかぁ(ニチャ〜)」という肯定的な意見から、「当時はチケット1枚で何度でも観れたから単純比較するのはおかしいのでは(めっちゃ早口)」という否定的な意見まで。要は、「ガンオタって、本当に気持ち悪いもんですね〜」という話である。

ガンダムの映画がそんなに素晴らしいものなのか。否である……多分。令和のいま改めて観返してみて、どの程度つまらないかを、解説した。頭を冷やせ!

 

機動戦士 ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編(1982年)

あらすじ:ジャブロー戦の結果、地球上における地球連邦軍の勝利は決定的になり、前線は宇宙に移行。アムロはララァ・スンと出会う。だが、ララァはシャアが指揮するジオン公国軍のパイロットであり、結果的にアムロは戦闘でララァを殺してしまう。そんなアムロの悲嘆をよそに、主戦場はジオン公国軍の宇宙要塞ア・バオア・クーへと移っていく。そしてララァを失ったアムロとシャアは、ア・バオア・クーを舞台に一年戦争最後の死闘を繰り広げるが……。

『SEED FREEDOM』が現れるまで、ガンダムシリーズで不動の興行収入1位だった作品。なんてことはない、ファーストガンダムのただの総集編である(3部作の最終章)。

富野のロボットアニメと言えば恋愛に発展しそうになったらブチ殺されて死ぬというイメージが定着しているが、『ガンダム』は大学のサークルかってくらい、キッショい恋愛模様を見せられる。ララァ、お前だよ。

褐色肌でインド人っぽい女。シャアとヨロシクやっちゃってるのはわかるよ。ララァがシャアに恩を感じてるみたいだし、なんか助けてくれたのだろう。でもアムロ(若井おさむの声の人)と惹かれ合う意味がわからない。フィーリングが合ったということなのだろうか。童貞(=アムロ)ならではの都合のいい解釈かもしれない。おてんばキャラのフラウ・ボゥもアムロに恋心を抱いてるのもムカつく。おそらく今のアニメが、主人公がロリ少女からモテモテの萌え系アニメばかりなのも、この『機動戦士ガンダム』が元凶なのだろう。

そもそもララァなんて、『宇宙戦艦ヤマト』のスターシャの二番煎じだし。パクリだとバレたくないから、褐色肌のキャラにしているあたり、富野のセコさが現れている。

しかしこの映画には考えさせられるものが一切ないのに、なぜヒットしたのか。ララァがアムロに「あなたには守るべき人も家もないのになぜ戦うの?」と聞いたときに、うわぁー! とアムロがなったことくらいか。これはオタク=結婚してない独身男への痛烈なメッセージだろう。やっぱりガンダムは恋愛メインのアニメだったのだ。気持ち悪い……。

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劇場版機動戦士ガンダム(1981年)

あらすじ:ジオン公国軍シャアの部隊は、連邦軍が開発中のガンダムを狙い、サイド7に侵入。アムロは、ガンダムのパイロットとして戦争に巻き込まれる。

TV版の第1話に該当する部分はクオリティが高い。童謡にしてもいいレベル。でもそれ以降は冗長だし中身もない。メッセージ性があるとしたら、男らしさこそが大事で、女は男を立てるべきという古きジェンダー論の押し付け。倫理観が終わってる。

総集編だとあまりにもテンポが良すぎて、ストレスの限界でアムロが放心状態になるのが(いわゆるクズ人間化)あまりにも唐突で、よく意味がわからなくなっている。いきなりアムロが殴られて可哀想……。

 

機動戦士ガンダムⅡ哀・戦士編(1981年)

あらすじ:地球連邦軍本部のジャブローを目指すホワイトベース。アムロは強敵ランバ・ラルとの戦いや仲間の死を通し、戦士として成長していく。

TV版の小難しいセリフが尽くカットされているから、えらくわかりやすいな。ファスト映画のようにバカには理解しやすい。主要キャラを殺して安易にセンセーショナルにしているのが気になる。「マチルダさん……マチルダさん……マチルダさぁぁん!!(射精&賢者タイム)」とか。ちなみにアムロは同時に死んだリュウ(血色の悪いデブ)には目もくれない。さすが女とロボにしか興味ない童貞。いかにもオタクって感じ。

しかし劇中歌がダサすぎるのなんなん?

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