52本目・『現代任侠史』その2
※前回記事「『現代任侠史』その1」はこちら。
あれはいまはなき東京現像所だっただろうか。スタッフ、出演者など関係者だけを集めて石井輝男監督14年ぶりの劇映画「ゲンセンカン主人」(1993年)のゼロ号試写が行われた。
上映が終わって。場内は静まり返っていた。試写室に明かりがついた。それでもまだ誰も立たない、誰もなにも言わなかった。言えなかったのだ。立てなかったのだ。つげ義春先生の原作をかなり忠実に映画化した。不思議な映画であることは事実だ。おまけに14年ぶりの映画監督復帰作。明るくなって数秒、まだ静かだった。微妙な空気を感じた。よくない、よくないんじゃないか、これは。そのときだった。試写室いっぱいに大きな声がこだました。
「これで今年のベストワンは決まったよ!」
同時に拍手が巻き起こった、のではなく、その発言した人物が手を叩きながら大声で言ったのだ。
ふりかえると内藤誠監督がすっくと立っていた。内藤誠監督が拍手しながら言ったのだ。
「これで今年のベストワンは決まったよ!」
と。微妙な空気が流れ始めていた試写室は一瞬で明るくなった。笑い声がさーっと拡がり、続いて何人もが拍手をした。試写室にいた全員がしていただろう。談笑が始まり、賛辞が、そして石井さんに謝意を告げるスタッフ、出演者たち。自分もそのなかのひとりだった。
内藤誠さんは石井さんの『網走番外地』の助監督である。ほかに何本も助監督についている。北海道の豪雪地ロケで、翌日撮影したいからと言われて夜通し雪かきをして朝を迎えたら、やっぱりそこで撮るのはやめようと石井さんに言われたこともある、と聞いたような気がするがそれでもそこに怒気や恨みのようなものはなかった。ただ単にたいへんでしたよというだけのことで、それが石井さんの自由で忖度のないところ、たのしかったという意味合いまで含まれていたように思う。
内藤さんの行動は私のからだのどこかに刻まれた。
たいせつな人のためならやるべきことをやる。
そこに恥じらいとか逡巡は必要ない。そのひとをたいせつだと思うなら迷うことはなにもないのだ。そしてそのとき、自分を高めるとか得しようとか思ってはならない。自分はどう思われてもいい。
どうしたんだ、このひと? それでいい。それでも結果がすこしでもいいほうに向かうなら、やるべきことをすればいい。
梅宮辰夫さんが亡くなるすこし前。梅宮さんの寿司屋に何人か集まって映画『不良番長』の同窓会その準備打ち合わせが行われた。集まったのは『不良番長』レギュラー出演者の鈴木やすしさんと谷隼人さん、そして『不良番長』シリーズ5本監督した内藤誠さん、ついでが関係者でもない自分だった。寿司屋に向かう途中で内藤さんといっしょになった。