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斎藤元彦“パワハラ”前兵庫県知事は本当にただの最低の知事だったのか

社会
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パワハラ疑惑を発端として兵庫県知事を失職、出直し選挙に立候補した斎藤元彦氏。メディアからも袋叩きに遭っているが、本当に彼はパワハラの限りを尽くした最低の知事だったのだろうか。※本記事は10月2日発売の『実話BUNKA超タブー11月号』に掲載されたものを一部編集したものです。
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幼い頃から「知事になる」と公言していた

兵庫県議会から全会一致で不信任決議を受け、失職、11月17日に行われる出直し選挙に出馬する意向を表明している斎藤元彦前兵庫県知事。斎藤を告発した県職員が死亡したことで、知事失職の前はメディアやSNSで総叩きされていたが、本当に彼はパワハラの限りを尽くした最低の知事だったのだろうか。

本題に入る前に、彼の経歴をおさらいしよう。斎藤は1977年11月に兵庫県西宮市に生まれ、地元の高校を卒業後、東京大学経済学部に進学。卒業後、総務省に入省し、宮城県や大阪府にも出向し、地方行政の経験を積んだ。兵庫県知事に就任したのは、2021年のこと。周囲に対し「もともと兵庫県知事を人生の目標にしていた」と語るほど、知事の位には思い入れがあったという。

「元彦という名前は、元兵庫県知事で斎藤の親族の仲人を務めたこともある金井元彦にあやかって付けられ、幼い頃から『知事になる』と公言していた。資産家の祖父が何でも斎藤に買い与え、一度祖父が小遣いを渡さなかった際には周囲に愚痴るほど『おねだり』が当たり前の環境で育ったといいます」(県関係者)

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そんな斎藤に内部告発という「爆弾」が降り掛かったのは、今年3月のこと。文書を作成したのは、西播磨県民局長の渡瀬康英氏だ。渡瀬氏は斎藤のパワハラや利益供与など、7項目に及ぶ告発文書を作成。神戸新聞を始めとする報道各社や一部の県議に匿名で送付された。

「渡瀬氏は、斎藤の前任者で5期20年を勤め上げた井戸敏三に長年仕えた県幹部。斎藤は就任後、井戸体制の総決算と言われる県庁舎の整備計画を白紙撤回するなど、大鉈を振るってきた。そんな県内の不満分子の声が渡瀬氏に集約されたという格好です」(前出・県関係者)

告発者の自殺で窮地に立つ

他方、斎藤は告発文の内容について「事実無根の内容が多々含まれている」「嘘八百含めて」と非難。露骨な「犯人探し」を行い、やがて渡瀬氏は特定された。

「3月25日に副知事と人事課長が西播磨県民局を訪ね、渡瀬氏と面会。さらに、彼が県から支給されていた公用のパソコンを押収したところ、ハードディスク内に告発文書が発見されたのです。当時、斎藤知事は『これは公益通報でも何でもない、これで騒動も収まる』と高をくくっていました」(同前)

その後、斎藤にとって2つ想定外の出来事が起こる。別の県関係者が明かす。

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