「彼からすれば、渡瀬さんが死ななければ、こんな窮地に追い込まれることはなかった。県民の公共の利益に無関係で、公益通報でも何でもない〝怪文書〟に厳しく対処しただけという考え。『こんなはずじゃなかった』というのが本音でしょう」(同前)
こうして、斎藤は崖っぷちに立たされることになったのだ。だが、ここで根本的な疑問が生じる。果たして斎藤は本当に悪なのか ――。そして、この争いの核心は、一体何どこにあるのか。
実は、この騒動には斎藤と元知事派の間で起こっていた覇権争いが深く関わっているという。兵庫県は長期間にわたって井戸敏三元知事が牛耳っており、県内の企業や行政機構に多大な影響力を誇っていた。だが、安定政権は往々にして利権を生む。井戸体制下では多くの癒着が生まれ、多数の県議員や職員が前知事派の支配下に成り下がった。
「ところが、斎藤氏が就任後、彼は新しい方向性を打ち出そうとした。ただ、旧勢力の反発が強く内部での対立が激化しました。特に、斎藤氏が行おうとした政策改革や人事刷新は、旧勢力との間に大きな摩擦を生んだのです」(無所属の県議会議員)
その最たるものが、前述の県庁舎の建て替え問題である。
「井戸元知事の時代には、県庁舎を高層ビルに建て替えるという巨大プロジェクトがありました。もともと県庁舎は老朽化しており、耐震強度が不足している。それだったら新しくタワーを建設し、県庁周辺の活性化を促そうという計画だったのです」(同前)
この大型公共事業は、県職員が一丸となって進められた。800億円に上る巨額案件だったが、斎藤は知事就任後にあっけなくこの計画を白紙撤回したのだ。
「この計画を進めたら費用は1000億かかる」
そう資産を叩き出した斎藤は、議会の根回しもないまま政治的決断を下した。言うまでもなく、公共事業には様々な利権が絡む。ゼネコン大手を始めとした県内の企業は、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。