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鎌倉という古くて不便な京都の劣化版の町を絶賛する輩がダサくて不快な理由

社会
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路地や獣道を歩いて観光地巡り

「ここが夏目や芥川も暮らした鎌倉かぁ……」

1889年、横須賀線の開通によって東京の出版社からの行き来が容易になったことにより、多くの文学者が住むようになった鎌倉。「鎌倉文士」と呼ばれた彼らに憧れる若者たちは、彼らの住む鎌倉にもまた憧れた。今回、初めて鎌倉を訪れた作家志望の若者もそのひとりである。

ちなみにみのもんたの成金大豪邸も鎌倉にあるという情報は一切遮断している。

湘南新宿ラインで新宿から約1時間かけて鎌倉駅に到着した。鎌倉観光の定番土産である『鳩サブレー』はどこでも買えるので無視して観光客の流れについていくと、いかにも観光地らしい土産物屋が建ち並ぶ「小町通り」に出た。

オフシーズンとはいえ、それなりに混雑している様は鎌倉好きの言う「のんびりした雰囲気」からは程遠く、文豪がこの光景を好んだとは到底思えないが、夏目や芥川が住んでいた頃はこんなに観光地、観光地してなかったのだろう……そうであってくれ。ていうか、あの頃に生まれていれば俺だって今頃は……なんて、希望的妄想をしていると「鶴岡八幡宮」に到着。

幕府統治下より鎌倉の中心に建つ神社。1063年に源頼義が京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺に祀ったのが始まりで、源頼朝が鎌倉幕府を開いた後、1191年に今の場所へ移動された。この神社を中心に鎌倉の街は整備されたのである。

正面左手には樹齢千年とも言われ、神奈川県の天然記念物に指定されていた大銀杏があったのだが、2010年3月10日未明に雪まじりの強風によって倒れてしまっている。

「3代将軍、源実朝を暗殺した公曉が隠れていたとされる『隠れ銀杏』が倒れたのかぁ……俺が誰かを暗殺したとき、どこに隠れたらいいのだろうか」

知らんよ。文学青年。

三ノ鳥居をくぐった先にある「源平池」には「太鼓橋」が掛かっているのだが、20年くらい前から渡れないようになっている。

「池があって橋があるのに渡れない……実に文学的だ」

考えすぎだよ。文学青年。

ていうか、2大看板のひとつである大銀杏が倒れ、もうひとつの太鼓橋が渡れないとなれば、客がまばらなのもうなずける話。露天が並ぶも赤字だろう。ちなみにエサらしきものを出しただけで大量の鳩の襲撃を受けるので非常に危険だ。

鶴岡八幡宮から少し歩くと「頼朝の墓」と伝わる石塔のある「白旗神社」がある。「勝負運」にご利益があると言われている。

「『勝負運』の利益があるのに白旗……とんちか?」

降参って意味じゃねーよ。文学青年。

白旗は源氏の旗印。対して平家は赤旗であり、日本で「紅白」が対抗の象徴となったのはここから来ているのはさておき、しょぼい祠レベルの神社から狭い道を歩いて歩いて、更にトンネルをくぐって結構な山中に現れたのは「宇賀福神社」。銭洗弁財天ということで、お金を洗えば増えて戻ると社務所でザルを借りるのだが、それが100円。その時点で100円減っていることに気付いてない守銭奴たちと共に金を真剣に洗ったら、さらに山を登ると辿り着く「源氏山公園」。

「トイレ休憩の場所か」

頼朝の像があることに気付いてやって!

そこから大仏までの道を地図で確認すると「ハイキングコース」と書いてある。

ちょっと観光のつもりがハイキングとはこれいかに。しかも道は泥道、獣道。木の根っこがむき出しになっていたり、手すりや階段がない場所も多く滑り落ちそうで危険。鎌倉好きのいう「自然豊か」とはこのこと? 途中で引き返す外人を横目に狭い路地を抜け、ようやく辿り着いた大仏のある「高徳院」。

子供の頃の記憶のままで見上げると、驚きの……。

「小っさ!」

拝観料200円を取るも、大仏以外は何もなし。大仏の中を見るのに20円って……中を見せるってアリ?

完全なる徒労感を拭うべく、江ノ電に乗るも、混んでいて立ち。海を眺めながら、青年は一言つぶやいた。

「実に文学的な街だ」

えーっと……どこが?

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