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日本軍の無駄死にバカ作戦ワースト10

社会
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「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」といった“玉音”がラジオから流れたときに「負けたら無駄死にじゃねーかよ」と心の中で叫んだ者も少なからずいただろう。しかし実際には勝っても無駄死にだったとしか思えない戦いや作戦が多数あったことを知ろう!
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バカ作戦のせいで日本は敗戦した

1941年12月8日未明、日本陸軍はイギリス領のマレー半島(マレー作戦)、そして海軍はアメリカ領ハワイに奇襲攻撃を行った後、各国に宣戦布告を行ったことで第二次世界大戦(もしくは太平洋戦争、大東亜戦争)への本格的な参戦となった。

42年の前半はジャワ沖海戦、スラバヤ沖海戦、バタビア沖海戦、セイロン沖海戦と勝利が続き、米国に対する戦況はかなり有利になってきていたところで「ミッドウェー海戦」というバカ作戦が行われたのだ。

ハワイ・ホノルル島から北西へ2千キロにあるミッドウェー島。アメリカ軍の飛行場があるこの島を奪っちゃおうぜ!……となり、まあまあな兵力で臨んだところ、実は暗号を解読されていて作戦はバレバレで、返り討ちに遭うというバカさ加減。流れをざっくり説明すると艦載機で基地を攻撃した直後、空母が待ち構えていることに気付き、続けて基地を攻撃する? それとも空母を先に攻撃する? 基地? 空母?……と迷っている間にガンガン攻撃を喰らった結果、軍の主力空母4隻を一挙に失い、同時に300機以上の艦載機と多くのパイロットをも失うという大失態となった。

約3千人、無駄死に。

戦局が米軍に大きく傾くきっかけとなった、戦争のターニングポイントと言えるバカ作戦である。

ミッドウェー海戦の勝利を経て米軍は「好機!」となったのだろう。予想外の早さで反攻に転じ、日本海軍が建設して完成間近だった飛行場を米軍が占領したことで始まった「ガタルカナル島上陸戦」。前半戦で米軍の空母2隻を撃沈、大破させるなど、圧倒的優位になったのだが、補給線が伸びきった上に見立ての甘さで食糧が全然足りず。それを見透かされたかのように物資・資源輸送船団を米軍に攻撃され、餓死が続出。消耗戦が続くも、最終的に日本陸軍は撤退した。

ミッドウェー海戦のトラウマで空母を出し惜しみしたことで、ミッドウェー海戦の約3倍もの航空機とベテランパイロットを失うことになったバカ作戦。

約2万3千人、無駄死に。

うち約1万5千人、餓死。

この撤退で太平洋戦線最前線であるソロモン諸島における日本軍の劣勢が決定的となるのだが、撤退できただけマシだったと「ニューギニア島攻略戦」を知ると思ってしまう。

開戦して間もない42年3月、豪州軍と米軍の連携を絶つべくニューギニア島に上陸したのだが、標高2千メートル級の山を越えて襲撃という無謀な作戦が上手く進まず、気付けば米軍の反撃を受け、制海権、制空権を失って補給が途絶え、マッカーサーの「放っておけば餓死すんでしょ」の言葉通りに放置プレイとなり、終戦までひたすら消耗戦をくり返した結果……。

参加した20万人中、18万人くらいが、無駄死に。

ちなみに遺骨回収はまるでできてなく、実数は把握できてないんだけどね!

それでもなんとかして帰還した兵士の間では「ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア」と言われていたという。

最後まで連合軍の攻撃を受けずに勝利したジャワは極楽だったのに対し、死んで骨になっても帰れないほど凄惨な戦場だったということ。では、「ビルマの地獄」とは何なのか? それこそが、かの悪名高き「インパール作戦」である。

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