無謀な作戦強行で白骨街道
1943年5月、大本営発表で初めて「玉砕」という言葉が使われた(戦況は推して知るべし)アッツ島の戦いを経て、司令官マッカーサー率いる米軍が本土へ向かい始めていた頃、ビルマ(現:ミャンマー)方面ではイギリス陸軍との地上戦が続いていた。そんな中、イギリス領だったインドから蒋介石の中国を援助する「援蒋ルート」を断つ目的で44年3月から始められたのが「インパール作戦」である。
そもそも大本営も反対していた無謀な作戦であった。第一の理由として地理的状況。日本で置き換えて説明すると山梨県甲府市あたりから日本アルプスの一番高いところ(3千メートル級の山々)を武器弾薬などを背負ったまま徒歩で横断して岐阜まで行って戦おうという作戦。うん、無理過ぎ。
これを強行したとされるのが、史上最もバカだと言われている司令官・牟田口中将だった。長距離の遠征作戦で最重要の輸送力がまるで足りてないのに、気合いでいけるとレッツゴー!
主力の師団が到着遅れるも、構わずレッツゴー! すぐに「武器重いっす」「メシなくなるっす」となったので「それなら牛や羊に荷物を運ばせて、腹が減ったら家畜を食う。『ジンギスカン作戦』だ!」と司令官。
えー、3万頭の家畜を引き連れた日本軍は格好の標的となり爆撃されまくりの、家畜は川で流されまくりで、武器もなければメシもない惨状。「武器がないなら、石を投げて戦え!」
正気ですか? 司令官殿。
それでも進撃を命令されて進んだ結果、補給線は伸びまくり、食えないから餓死しまくって、白骨化した死体がズラッと並ぶ「白骨街道」が出来上がりましたとさ。チャンチャン。
9万人中約6万人が無駄死に。その8割が餓死。
バカ作戦、ここに極まる。
ちなみに撤退の視察に馬に乗って現れた牟田口は、「軍司令官たる自分に最敬礼せよ!」と叫んだらしい。
正気ですか? 司令官殿。
兵士は白骨化してるか、ほぼ死んでますやん。
その頃、中国戦線では、「大陸打通作戦」がくり広げられていた。米軍に破壊された鉄道を回復打通して補給線を復活させ、さらに米空軍基地を破壊することでB29での本土空爆を未然に防ぐことが目的だった。そのために投入された兵力は50万人。日本陸軍建軍以来、最大規模の作戦開始!
鉄道回復! 米空軍爆撃で寸断! 回復! 寸断! 回復! 寸断!……無駄!!
米空軍基地破壊占領!……えっ? 八幡市(現:北九州市)をB29が爆撃したの? えっ? 東京も空襲された? なんで? あぁ、サイパンから飛んだのね。てことは、この打通作戦って、もう……無駄!!
無駄無駄無駄無駄無駄!!
それでも意地で(?)撤退せず、消耗戦の結果。
約10万人、無駄死に。
ちなみに44年7月、サイパン島で3万人の日本軍守備隊が全員「玉砕」で全滅していた頃、日本陸軍はジェット気流を利用し、大型気球に爆弾を付けて米国本土へ飛ばす画期的な武器「風船爆弾」を開発! 数千個を飛ばしたところ……米国市民数名死亡&数カ所に山火事を発生させた!!
この頃の日本にまともなヤツはいなかったのか?
さて、話を戦場に戻すと、44年末頃、実質的に海外で残っていた拠点は開戦早々に占領していたフィリピンのみ。というわけで「フィリピン防衛戦」に日本軍は全戦力を注いで臨んだ。開戦から唯一生き残っていた空母・端鶴の艦隊を囮に使い、戦艦大和や武蔵を主力とする戦艦部隊(栗田艦隊)が連合軍護衛空母に損害を与え、追撃するかと思いきや……。
栗田艦隊、謎の反転。
栗田は戦後も死ぬまで理由を語らなかったというが……語れよ! それで何人死んだと思ってんだよ!!
この戦いで初めて神風特別攻撃隊が出撃し、米軍空母撃沈などの戦果を上げているが負けたら所詮、無駄。
約50万人、無駄死に。
もう白旗上げようよぉ~。まだ無駄死にさせんのぉ~。