杉田氏の活動を支持する人たちが、「伊藤博文をテロリストだとするのは間違いである」「伊藤博文をテロリストよばわりするのは言いがかりである」、といった思考に基づいた発言をし、それに対して杉田氏や氏の支持者の歴史的な無知を指摘したり、その無知をバカにするような形でネット上で話題になっていた。
確かに伊藤博文は、人生の一時期、テロリストとして活動していた。それはそれとして初代内閣総理大臣にもなったし、公爵にもなった。テロリストであると言われてもおかしくはないし、公という敬称がつけられてもおかしくはない。
ちなみに、この場合の「公」は公爵という爵位を表していると多くの人が解釈しているが、そうではない可能性もある。
きっかけになった墓前祭は、山口県出身の政財界の人間が役員や顧問(安倍晋三氏と密接な繋がりがあった村岡嗣政山口県知事の名前もある)に名を連ねる財団法人防長倶楽部が共催したものだ。郷土である山口県や山口県出身者(方向性にもよるだろうが)を盛り上げていこうという性格もある団体である。
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「公」というのは郷土の偉人に対する敬称としても使われるものでもある。戦国武将である武田信玄を信玄公とよんだりするやつだ。団体の性質から、そういった郷土の偉人を称えるための「公」である可能性もある。公爵の「公」だと単に爵位を表しているだけでしかないので、その人がどんな人物であるかという評価は関係はない。能川氏的には「公」を偉人の尊称としての「公」だと判断し、あの発言をしたような気がする。伊藤博文公墓前祭という名称の催しであるという指摘もあるが、そういう名称も、そういう名称の催しに参加することも問題だという観点もあるのかもしれないし、杉田氏のポストの一文だけみて反応したかもしれないし、そこは私には判断できない。
まあ、一般的に伊藤博文に公をつけることはおかしなことだとは認識されておらず(つけないのもおかしなことではない)、つけるのも慣例的なものぐらいにしか思われてないだろうし、さすがに能川氏のあれは強引すぎだと見られても仕方がないと思う。
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一方で杉田氏の「大学の授業で」云々も変だ。
伊藤博文はテロリストでもあったのは事実だ。それを教えようと教えまいと何も問題もない。そもそも、能川氏の専門は哲学であるし、授業で言及する機会があるのかもわからないが、大学の授業で教えるようなものですらないというか、本来なら大学の人文の講義を受けるような人間なら知っていてしかるべきことのはずだからだ。まあ、現実にはそういう学生でも知らない人も多いのだろうけど。