「森氏は岸田首相に、『おい、小渕を要職に就けろ。そうすれば青木さんの遺言にも応えることができるし、茂木に反発心を持っている青木シンパの連中もおさまる。そうすると岸田さん、小渕に活路を開いてやって、派閥内を鎮めてくれたあんたに茂木も感謝する。これが人事だ』と得意げに進言したようです。岸田首相は受け入れざるを得なかった」(前出岸田首相側近)
なぜ、これほどしゃしゃり出るのか。議員を引退した自民党の元閣僚が言う。
「人を蹴落としたり、動かしたり、操ったりという永田町独特の人事の快感が忘れられないんでしょう。もう現役を離れてそんなこと放っておいたらいいのに、老後の趣味みたいなものです。満足して楽しんでいるという最低の老害ですね。現場にしてみれば迷惑千万。適当に聞き流せばいいのに。ただ、それができないというのは岸田首相や安倍派の連中も永田町に染まり、根性なしということです」
下村博文を逆恨みして安倍派幹事会から排除
人事だけではない。最近の森氏の自己中で迷惑で劣悪な振る舞いはまだまだある。
それは安倍派の後継会長問題だ。前述した5人衆が、それぞれけん制し合っているため会長を1人に決められなかった。結局安倍派は常任幹事会を新設して集団指導体制でいくこと、そして、それまで会長代理を務めていた2人、塩谷立氏と下村博文氏のうち塩谷氏を座長という形にしたのだが、ここにも森氏が絡んでいる。
森氏は度々、会合での挨拶や地元紙の北國新聞などを通じて会長問題に言及してきたが、その発言通りにことが進んだ。北國新聞の連載では、「塩谷座長」を決定よりずっと前に述べている。安倍派の若手議員からは「影の指南役なんじゃないか。幹部らは森さんの古臭い永田町の落としどころを聞いているだけ。若手としては早く会長を決めて最大派閥としての結束をすべきだと思っている」(4回生議員)と批判の声も出ている。事実、塩谷氏や5人衆の一部は森氏を訪ねてどうすべきか相談している。
そして、森氏は、人として信じられない行動もとった。それは、会長代理だった下村氏を外したことだ。しかし、それは完全に個人的な怨念によるものなのだ。森氏は北國新聞の連載で、下村氏が最近森氏の事務所を訪れたエピソードを披露。