要介護高齢者はひとりでは生きていけないので、介護者がいなかったら死ぬ。介護保険制度だけでは十分な介護にはならないかもしれないが、それでも介護を放棄するべきだ。両親に老々介護を徹底的に頑張らせて、そして老々介護で足りなくなったら介護保険をフル活用する。なにもかもを介護職に全部押しつける。それで親が死んでしまったら仕方がないと割り切る、という考え方になる。
それでは親がかわいそうだと思う人は、これまでの家制度や儒教の影響で洗脳されていると言える。1人で生きていけなくなって死ぬのは自然の摂理であり、アタリマエのことである。これまでの人生も、未来も不遇が決定しているアラフィフが、自分を犠牲にしてまで恵まれて生きた親に尽くすほうが異常なのだ。
これからのアラフィフは頭のなかから親孝行という言葉を消去して、親よりも自分自身の人生のほうが大切という意識が絶対に必要だ。親のために未来の妻に介護をさせる、介護離職するなどは言語道断の愚行。親の介護は国が用意したやりたい人に任せる、介護が十分ではなくて死んでしまったら、親の自己責任――それでいいのだ。
悲惨なアラフィフ男性の老後
日本は長年に渡って極端な高齢者優遇、団塊の世代優遇の国つくりを続けてきた。具体的には団塊の世代が後期高齢者となる2025年問題だ。2025年を目安に高齢者大国をつくるために、1990年からゴールドプラン(高齢者福祉推進十か年戦略)を開始して、社会で高齢者を支える介護保険制度がつくられた。
高齢者介護が民営化されたことで、2000年代は福祉のムーブメントが起こった。
しかし、結果として残ったのは、現役世代の人生を潰して高齢者に徹底奉仕をさせる低賃金福祉労働と、結婚できない貧乏な生涯未婚男性だった。貧乏な中年男性は誰にも相手にされない。未婚化、少子化、精神疾患、中年童貞などなど、高齢者優遇によって現役世代に悲惨な副作用を起こすことになった。
人口のボリュームゾーンであるアラフィフが20代のとき、高齢者優遇ではなく、現役世代に目を向けた少子化対策をすれば、順調に第三次ベビーブームが巻き起こり、みなさんは幸せな家庭を築いて、今頃パパとなっていたはず。現在のような少子高齢化や悲惨な中年童貞、徹底的な孤独な人生を送る人々が生まれることはなかった。