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インタビュー 漫画喫茶暮らしから作家デビュー異端の作家・赤松利市とは?

赤松利市 インタビュー
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最底辺の場に根付く自己責任論

2月に発売した初エッセイ『下級国民A』でも、赤松は自らが受けた作業員による強烈ないじめや、日雇い労働者たちの鬱屈した日常を赤裸々に綴っている。

「一昨年出版した小説『らんちう』でも貧困や格差社会をテーマにしましたが、ミステリー小説だったため、意図が伝わりにくかった。そんな時、エッセイの話をいただいたので今度はより明確に書くことにしました。各章に『昭和枯れすすき』など昭和の歌謡曲を散りばめたのも、かつて『一億総中流』、『世界で唯一成功した社会主義国家』と呼ばれた日本が、どれだけ惨めな国になったかを浮き彫りにするためです」

印象的なタイトルは、池袋暴走事故が喚起した上級国民問題を思い出させる。

「上級国民がいるなら、その反対語は下級国民だろうと。そして、末端の土木作業員になるしかなかった自分も下級国民のひとりなんだと思って、Aをつけることにしました」

『下級国民A』は続編の構想もあるという。

「今回は東北編で終わりましたが、5000円だけ持って辿り着いた東京での日々についても書きたい。漫喫や路上を転々としつつ、おっパブやコンビニ、ファミレスの店員、バスの誘導員と様々な職を経験し感じたことや『自己責任論』について描きたいです」

赤松の作品では、日本に蔓延する「自己責任論」に強く警鐘を鳴らしている。

「自己責任という言葉が大嫌い。もともと自己責任はヨーロッパで資本主義が成立した時に自由主義と一緒に誕生したもの。資本家が労働者に無理難題を押し付けるための方便に使った言葉です。『君たちは奴隷ではない。好きな職業を選べるなか、自己責任で選んだのだから、文句を言うな』と。そういう使われ方が起源なんです。でも、今の日本では経営者はもちろん、底辺で働いている末端の労働者まで当たり前のように使っている。バイトをしていた時に、どこの職場でも、すぐに自己責任という言葉で、自分より弱い者にマウントをとる人たちの姿を見てきました。例えば、ファミレスのキッチンクルー時代『この日は病院に行きたいから休みたい』と言うと『構わないがそれなら代わりは自分で見つけろ』と言う。『バイトの自分がやらなきゃいけないことか』と質せば『自己責任だから』で一蹴される。自分たちが自己責任という言葉に縛られた不安定な社会の最底辺で働いているにも関わらず、そのなかで自己責任を振りかざし、さらに弱い者をいじめる。結局、自分の首を自分で絞めていることにすら気づかない人がたくさんいるのが今の日本の現状なんです。狂っていますよ」

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