咲村 グラドル以外での業界でも、例えば風俗やAVや立ちんぼなどカラダを売る仕事をしている女の子たちに対しても、その手の偏見を持たれているように感じますね。結局、女の子は自分で選んでそれをしているわけだから、それが惨めなことだと扱われることに違和感があります。例えば中学生くらいの女の子が年齢を偽って売春した場合、それは女の子の側が男性客を騙した罪があるという面もある。だから女性が自由であるためにも、女性のルール違反というところもきちんと追及していくべきだと思います。
柴田 自由には責任が伴うということですよね。最近のフェミニズムって、とにかく女性は責任を持たなくていいんだという風潮があります。そうなるとまったく平等ではなく、女性の自立からは遠ざかってしまう。男性が全責任を負って女性はただかわいそうな存在として生きていくなんて、それこそ惨めな扱いだと思うのですが。
咲村 女性がかなり不当な扱いを受けていた時代がかつてはありましたが、今はそうじゃないですからね。男女がお互いの欠点や至らない部分を補い合って平等を目指すフェミニズムであってほしいです。
勝手に「猥褻」扱いしないで
咲村 実は私自身、幼い頃から痴漢や付きまといなどの性被害をわりと多く受けてきたほうなんです。嫌な思いもたくさんしてきましたが、それは裏返せば女性としての魅力が強いという意味でもあるし、結果的に今、私はグラドルとして性的な魅力を表に出す仕事をしています。被害者の目線として後輩の女の子たちがそういう嫌な目に遭わないように守っていきたいという思いがある一方で、本当は被害に遭っているわけではないのにそういう顔をする女性に対しては、それってどうなの? とは感じています。
柴田 被害を乗り越えて…という表現は少し安易ですが、それを乗り越えた上で自分の表現や生き方として昇華していく女性の姿は、あまり注目してもらえないですよね。メディアで性被害者を扱うときって、“すべてを奪われたかわいそうな人”っていう表現をされがちだと思います。
咲村 “かわいそう”では食っていけないですし、被害が減ることはないですからね。グラドルの仕事を「性の商品化」って表現をされることもありますが、 突き詰めるとすべての仕事って「商品化」だと思うんですよ。どんな仕事であれ、時間を使って労働するわけだから、働いている人はみんな自らの労働力を商品化をしていると言えるのではないでしょうか。
柴田 なぜ性の商品化だけが悪いことにされるのか、疑問ですよね。
咲村 グラドルの仕事がいいなと思うところの1つは、自分のコンプレックスだった部分を好きになれることなんですよ。胸が大きすぎるとか太っているとか、アニメ声だとか。アイドルになってその特徴的な体型や声を活かせたという子はすごく多いです。そういう自分のコンプレックスだった部分をポジティブに変換して仕事にしていけるっていう部分でもある。そういう気持ちで私たちがこの仕事を主体的に選んでいるっていうのを、もうちょっと伝えていきたいです。
柴田 グラドルさんたちにも思いがあって、誇りを持って仕事をしているのに、そういう価値観が軽視されてしまっているんだな、ということを水着撮影会中止騒動の一件で感じました。それを「猥褻」とレッテルを貼って排除するということが失礼ですよね。
咲村 グラビアDVDって、今はエッチなものとして扱われているじゃないですか。でも、もしかしたら、100年後には、日本のアート文化の1つになってたりしないかなと思って。春画や西洋画のヌードも当時はエッチだと言われても今はそれが芸術として受け入れられている。だから私たちが自分の美しさを出していくことで、いつかグラビアがアートと同じように扱ってもらえたらいいなと思って活動しています。
構成/須賀小夜子
初出/実話BUNKAタブー2024年7月号
柴田英里寄稿 フェミニズムにとって性行為や性表現は忌むべき存在なのか
現代美術家〈柴田英里〉インタビュー:彼女が“暴論”を吐き続ける理由【前編】