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サブカルとしてのヴィレヴァン:ロマン優光連載307

連載
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仮想敵的な存在

筆者がヴィレヴァンというものの存在を認識したのは98年に下北沢店がオープンしてからのことだったと思う。下北沢店は敷地も広く、「サブカル」的な書籍が多くそろえられていて、規模的にエポックメイキングな存在であったが特に好んで利用した記憶がない。

自分は雑貨的なものにさして興味がなく、基本的に書店として考えていたわけだが、当時の自分は20代中盤で東京住まい。既にサブカルチャーに関する自分の興味の方向性はある程度出来上がっていた。ヴィレヴァンで売っているものは既に知っているものであったし、それがどこに行けば買えるかも知っていた。そして、自分が一番欲しいものヴィレヴァンには売っておらず、タコシェであったり、古本屋巡りをすることでしか手に入らないものだった。自分にとっては、ヴィレヴァンは未知の文化に出会ってわくわくするようなところではなく、ちょっとした本なら遠出しないでも手に入るので近所にあると便利な場所、すごく便利なサブカル・デパートであった。ちなみにヴィレヴァンの特色として語られることの多いPOPも自分にとってはユーモアを押し付けられているようで苦手だった。

(補足になるがサブカルは単なるサブカルチャーの単なる略語ではなく、サブカルチャーの中の一定の領域を指す言葉であり、それの指し示す領域は時代や状況と共に移り変わると自分は認識している。10年代半ばのそれについての見解は『間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに』(コア新書)で触れた)

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当時、自分の嗜好にそってサブカルチャーを掘っていくようなことを志向していて、現行のサブカル界隈で話題になっているものより、まだ注目されてないもの、現行のものの源流に当たるものに興味があったので、そういう活動の対象からはヴィレヴァンは外れていたのである。ほっておくと、知っていても役にたたない、センスがいいとも思われない、掘れば掘るほど他人に話せることがなくなるようなものに興味が自然と向いてしまうのである。

また、ファッション的にサブカルチャーを消費して楽しむ「サブカル」的な人、他人との差異化のため、自分のセンスを誇示するために「サブカル」があるようなスノビッシュなタイプの人に対して反感があり、そういった人がヴィレッジヴァンガードを愛好する傾向があって、当時の自分にとって同世代のヴィレヴァン愛好者は仮想敵的な存在でもあった。

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