若い頃はそんな感じであったが、一時期は自分の本を大きくあつかってくれるなどの別の接点も増え、それとは別に年をとることで視野が広がり見えてくるものもあった。若年層におけるサブカルチャーとの最初の出会いの場としてのヴィレヴァンであったり、地方在住のサブカルチャー愛好者にとっての利便性の問題である。
愛媛県松山市に住んでいた高校生(今問題の斎藤元彦知事が後輩であることを最近知った)のころ、新旧の雑誌の記事だけでなく広告ページ出版社のカタログを熟読し、読みたい本・聴きたい音楽を見つけて、取り寄せてもらったり、通販したり、古本屋・中古レコード屋巡りで見つけるといったことをしていたのだが、本当に時間も手間暇もかかる。松山市には紀伊国屋はじめ大きめの書店があり比較的マイナーな出版社のものもわりと手にはいりやすく、古本屋も充実していた。楽な方だったと思うがそれでも手にはいらないものはあった。そういった大変さ、不便さ、通販や取り寄せの際の心理的なハードルの高さから身に着けたものも多いと思うが、そのころに90年代から10年代ぐらいまでのヴィレッジヴァンガードのような店が地元にあったら、どれだけ魅力的で助かったことだっただろう。
特にサブカルチャーとの最初の出会いの場としてのヴィレヴァンの貢献度は大きいと思うし、最初の場に対する思い入れが大きい人がいるのはわかるような気がするのである。場というのはそれだけ大事なものだから。
ああいった規模でサブカルチャーにまつわるものをビジネスとして店舗経営していくのはなかなか難しいと思うし、記事を読んで一つの時代の終わりを感じている人も多いのだろうと思う。
記事中でも紹介されていた、日本全国のヴィレッジヴァンガードを一軒ずつ訪れて各店の様子をXで発信している「ヴィレヴァン全店まわるひと」さんの記事への反応に対する一連のポストを読んだり、普段の活動の報告を読んでみると、そういった一般論では何も語れないなと思う。なにより、ああいった個人の想いに突き動かされた、他人にとっては意味がないかもしれない、現行の「サブカル」的なものの最先端から程遠い彼のやっているような活動こそ、サブカルチャーなのではないかと思う。