反差別的な主張をする人の差別的な発言
嫌韓・嫌中・排外主義的な発信が多く見られるタレントのフィフィ氏に対し、林原氏のブログ内のザリガニという言葉を使い彼女を揶揄する投稿をした人がいた。彼女が林原氏を擁護する立場の発言をしていたことから、そこと絡めたのだろう。
これは差別的な発言であり、相手がどんなに排外主義的主張をしているからといっても外国人である彼女に言っていいことではない。ましてや、反差別的な主張の人間がSNS上で発するなど、余計にひどいことだと思う。この件に限らず、批判対象なら何を言ってもいいみたいな姿勢の人がリベラル的な主張を表明している人の一部にも見られる。そういう人はどこにでもいるが、そういったものに反対しているはずの人がやるのは余計に気になる。問題となる言動に対してではなく、その人の容姿を揶揄したり、その人の作品をバカにする(内容に対する批評ではなく、その人をバカにするためにこきおろしているだけで、実際の作品の出来不出来とかも関係ない)ような人もいるが、それは違うだろうとしか。
一方で上記のザリガニ発言に絡めて、左派は身内のこういった発言を批判しないから信用がないといった批判があったが、実際のところ発言主はリベラル的なスタンスの人から多くの批判を浴びていたし、全く事実ではない。そもそも、自分がこの発言を知ったのが、リベラル寄りの人が引用ポストで批判しているのを見たからだった。
左翼は芸能人が政治的発言をすることをとめるのはおかしいと言うくせに、自分たちと意見があわないと叩く。結局、自分に都合のいい意見が欲しいだけ。
そういう左翼批判はよく見られるものであり、今回も見られた。
まず、政治的な意見を言ったから叩かれたのではなく、その内容が批判されたわけで、政治的な発言をすることが問題とされているわけではない。論点のすり替えである。
逆に左翼的な発言をする芸能人には、芸能人は政治的発言をすべきではないと批判するが、自分と近い意見を表明する芸能人には勇気ある発言だと称揚する人も多くいるわけで。
芸能人が政治的発言をするのは自由だし、その内容が批判されることもあるだろう。それだけのことだ。
今回の騒動では発端からして政治的思想がどうとかの話というよりもリテラシーの問題であり、周辺のあちこちでその問題が垣間見えた。韓国人YouTuberの動画に対して、「尹錫悦大統領による非常戒厳令からの流れから考えたら、こんなのおかしいとわかるだろう」と言うのはたやすいが、普通の人はそういうことにあまり興味がなく、そんなことを言っても仕方がないのだ、多分。