Xでの津田大介氏の、
「林原めぐみ」でX検索すると大変な事態になってることを把握。既存メディアが力を失い極右や陰謀論系ユーチューバーのコンテンツが常時おすすめに表示されるような世界線なのだから、ユーザーのリテラシー不足だけを責めても何も問題は解決しない。少なくともEUレベルのプラットフォーム規制が急務。
という投稿に関して、林原氏自体を猛烈に叩いているという解釈の人が多くみられるが、林原氏のようなユーザーのリテラシー不足を責めても仕方がなく、彼女に影響を与えたとおぼしきYouTuberのような存在を規制すべきという話で、林原氏個人を責めているわけではないのではないか。そこのズレが気になった。
漫画評論家の伊藤剛氏の、
「排外主義はいけない」「差別はいけない」ということは、ほとんどのひとに共有されていることなんだが、そのために現場の不満やいらだちの表明が封じられているのは、たいへんよくないと思う。たとえばお店で商品のパッケージを勝手に開ける外国人客などに文句を言うことすらはばかられるというのは、実際にあるわけで。
という投稿に対して、店のパッケージを開ける外国人に対しては普通に注意すればいいだけということが多く言われていたが、伊藤氏が言っているのは、排外主義・差別はいけないという意識から、そういったことがあったことに対する不満・愚痴を他の人に言ったり、SNS上に書くことがはばかられるようになっているということではないだろうか。そこを誤読している人が多いのは気になった。
基本的に私は伊藤氏の政治的な発言に賛同することもほぼなく、反対意見を持つことが多い。しかし、この投稿に関して、言っていないことで批判するのはおかしいと思う。
このように批判派・支持派双方ともに誤読にもとづいた批判が見られるわけで、事実をベースにして考えるのではなく、なんとなく雰囲気でものを言っている人がSNS上では多いという話だろう。
こういうことを書いていると、中立ぶってるとか、冷静な視点の自分凄いとアピールしているといった批判がされることがあるが、そういう話ではなく、誤読に基づいた批判的言説が事実であるかのようになっていく世の中は怖いと思っているだけの話だ。
だいたい、こういうことを書いていると双方から嫌われ友達を減らしていくだけなので、何もいいことはないのである。