Xなどでこの事件が面白おかしく取り上げられるとき、必ずそのフェラ強要もセットで語られ皆ウホッウホッイキスギィ! などと下品に盛り上がっていたのだが、「この件においては同性愛とは全く逆で、アメリカの刑務所と同じくホモソーシャルにおける権力の誇示といういじめである」という冷静なご意見もあった。
私はそれはある程度正しくて、ある程度間違っていると思う。
以前も書いたが、ノンケとバイとゲイはきっちり線を引いて分けられるわけではない。グラデーションだ。100という人も多いだろうが、82だったり55だったりする人もいるのだ。例えばホモ度10ノンケ度0の私に頭がおかしくなった永野芽郁がフェラしようとしてきたとしたら、泣き叫びながら思いっきりビンタをしてしまうと思う。ちんこを舐められた途端にショック死すると思うからだ。これに対してフェラ強要した生徒はちんこなら男に舐められても良いと思ったのだ。若さゆえの多少の性の揺らぎがあったのではないだろうか。
そういう欲望が歪んだいじめとして形になったとしたら、同性愛的な行為を屈辱的なもの、恥ずべきものとしてしか認識できないホモソーシャルな環境のせいではなかろうか。つまり、野球というスポーツが有害な男性性を生産する装置として機能したからだと思うのだ。高校野球がこの先健全を目指すとしたら、積極的にゲイと関わってみるのはどうだろう。それはそれで問題がある気もするが。
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PROFILE:
サムソン高橋(さむそん・たかはし)
鳥取県出身。ゲイ雑誌『SAMSON』 編集部で編集者およびライターとして勤務し、同社の『SAMSON ViDEO』も制作。2002年に退社。その後はフリーライターとして活動。能町みね子と同棲生活をしている。主な著書に、『世界一周ホモのたび』(ぶんか社)シリーズ。
twitter:@samsontakahashi





