大半のコメントは、犯人個人の資質や性格に問題を帰属させ、社会や制度には責任はないとしたうえで、「だからこそ厳罰で当然だ」という結論になっている。確かにその通りであり、まして、他人の命を奪うのは絶対に許されることではない。だが、こうした正論で事件を切り捨てた瞬間、私たちは思考停止に陥ってしまうことになる。今回の杉並事件は、単なる突発的な犯罪ではない。日本の社会が30年かけて丹念に育て上げてきた「絶望」のほんの一端でしかないのだ。
事実、「無敵の人」と呼ばれる類型の事件は、この10年で明らかに増え続けている。そして、その中心にいるのがいわゆる「就職氷河期世代」だ。1990年代後半から2000年代初頭にかけて社会に出た彼らは、景気低迷と新卒採用抑制の直撃を受けた。社会に出て以降も常に逆風にさらされ、99年から始まった派遣法改正は、地方・高卒・非大卒の若者を大量に派遣化していった。
この世代には正社員になれず、非正規雇用を転々とし、キャリアも貯蓄も積み上げられないまま40代、50代突入した人間が大量に存在する。結婚も家庭も、将来設計も持てないまま歳を重ね、気が付けば失うものが何もなくなっている。さらに年齢が上がるにつれ、今度は親世代の介護ものしかかってくる。まさに社会の都合によって未来を奪われてきた世代なのだ。その意味で、杉並事件は彼らが行き着く先を可視化したに過ぎない。
無敵の人は、突然生まれる怪物ではない。氷河期世代を中心に、日本社会の底辺で静かに、しかし確実に増殖してきた存在なのだ。
安倍銃撃事件や京アニ放火も
事実、この10年を振り返るだけでも、日本では“無敵の人”が関与したと見なせる事件が、ほぼ毎年のように発生している。それぞれの背景は異なるが、それでも形や場所を変えながら確実に増え続けている。
特に衝撃的だったのが2022年の安倍晋三銃撃事件だろう。白昼堂々、選挙演説の場で元首相が殺害された事件は、日本社会を震撼させた。犯人の山上徹也は当時41歳で、非正規就労、貧困、家庭崩壊という、氷河期世代に典型的な境遇を背負っていた。親が統一教会だったという特殊な背景はあったにせよ、「社会は何ひとつ守ってくれなかった」という感覚が暴力に転化した点で、この事件は“無敵の人”問題の象徴でもある。
同じく社会に強烈な衝撃を与えたのが、19年に36人もの命が奪われた「京都アニメーション放火事件」だ。犯人は41歳。不安定な生活、被害妄想、社会からの断絶が、「自分の創作を奪われた」という妄想となり、残酷な形で噴き出した事件である。
確かにこれらの事件は、誰もが「異常」「特別」と距離を取りたくなる事件だ。しかし、これ以外にも、我々の日常とそれほど違わない場所で、“無敵の人”による犯罪が生まれている事実がある。
