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“無敵の人”大量発生で日本は 無差別殺人が当たり前の社会になる

社会
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たとえば19年の「川崎市登戸通り魔事件」だ。犯人は51歳で、長期引きこもりで家族とも断絶していた。登校中の児童を襲うという行為の残酷さばかりが語られるが、背景にあるのは「社会から完全に切断された中高年男性」という、決して珍しくない存在だ。

37歳の無職男性が電車内で刃物を振るい、多数の負傷者を出した2021年の「小田急線刺傷事件」もそうだ。恋愛の挫折、疎外感、他者への敵意という、これもまたよくある要因が引き金となっている。都市に溶け込んでいた“普通の孤立者”が、ある日突然、公共空間で爆発したわけだ。

24年の「高田馬場・動画配信女性刺殺事件」は、さらに現代的だ。犯人は43歳。配信という可視化された場で、歪んだ執着と孤立が犯人を凶行に走らせた。そこにはネット社会が無敵の人の孤独を「拡張」してしまう構造もはっきりと表れている。

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若者にも広がる強烈な虚無感

これらの事件に共通するのは、「日常の延長線上」で起きているという点だ。特別な思想も、組織も、過激な主張もない。ただ、仕事がない、居場所がない、尊厳がない。その積み重ねが、ある日、公共空間でまったく無関係の「誰か」に向かって破裂する。

そして、最も恐ろしいのが「潜在層」の存在である。たとえば確実に増えているのが、8050問題に象徴される中高年の引きこもりだ。なかなか表面化しづらい面もあるのだが、2025年の「大津市タワーマンション事件」のように、40~50代の子と高齢の親が共倒れになり、家庭内で悲劇が起きるケースはもはや珍しくない。

これは氷山の一角にすぎず、社会の支援が途切れ、親が倒れた瞬間、一気に“無敵化”する予備軍が全国に無数に存在している。衝撃的な事件は、日常的な孤立の延長線上にあり、その背後には、さらに膨大な潜在層が横たわっているのだ。

この10年、日本社会は“無敵の人”による事件を「例外」として扱い続けてきた。だが、現実はそうではない。無敵の人は、すでに社会の内部構造そのものになりつつあるのだ。

さらに言えば、無敵の人による事件は就職氷河期世代だけの問題ではなくなりつつある。近年はより若い世代による凶行も目立つようになってきたが、彼らは社会から脱落したわけではない。人生の入り口、あるいはその手前で、未来そのものに見切りをつけてしまった世代である。

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