象徴的だったのが2021年に起きた「京王線ジョーカー事件」だろう。犯人の服部恭太は当時24歳。安定した職を持たず、社会的な承認を強く渇望していたとされる。彼はあえて目立つ格好をして車内で犯行に及び、その様子を「見せつける」ように振る舞った。
「この事件は金銭的困窮だけで説明できるタイプではありません。「誰からも評価されない」「存在していないも同然」という感覚が、自己顕示と暴力という歪んだ形で噴き出した事件といえるでしょう」(前出・社会部記者)
若年層の事例として報じられたのが、17年の「座間9人殺害事件」。この事件は犯人というより、被害者となった若い世代の絶望感が垣間見えた事件と言える。当時27歳の白石隆浩は、SNSを通じて「死にたい」という悩みを持つ若者の心の隙間に付け込み、15歳~26歳の男女9名を殺害した。裁判では当初の「自殺の誘い」は嘘であり、真の目的は「金銭奪取」と「性的暴行」であったことを認めている。社会に希望を持てない若者が、ネットに潜む怪物に捕食されたという構図だ。
こうした絶望の伝播は止む気配はない。つい先日も愛知県刈谷市で19歳少年による切りつけ事件が起きている。路上で面識のない女性を襲ったこの事件について、供述の端々から浮かび上がるのは強烈な虚無感だ。
努力しても報われない。正社員になっても待っているのは長時間労働か使い捨て。そんな大人たちの姿を10代のうちから見せつけられて育った彼らは、社会に出る前から、「詰み」の風景が見えてしまっている世代なのだ。
自己責任論には限界がある
“無敵の人”問題の新たな側面を示したのが2023年の「札幌ススキノ首切断事件」だ。単独犯ではなく、歪んだ家族関係の中で、社会的断絶が温存・増幅されていたケースだ。無敵の人は必ずしも路上に突然現れるわけではなく、家庭という密室で長年培養され、ある日、外に噴き出すこともある。この事件は、「予備軍」が見えにくい形で社会に蓄積している現実を突きつけた。
こうした若い世代の事件は、氷河期世代の絶望と断絶しているわけではない。彼らは、上の世代、特に氷河期世代の「失敗」を見て育ってきた。真面目に働いても報われない。会社に尽くしても守られない。困窮すれば「自己責任」で切り捨てられる。その現実を、家庭やメディアを通じて、嫌というほど刷り込まれてきたわけだ。
今や自己責任論はひとつの価値観ではなく、一般的な常識として定着している。その結果、若い世代は失敗を恐れるのではなく、最初から未来を信じなくなった。希望を失った人間に、法や道徳が抑止力として機能しないのは、氷河期世代で証明済みだ。その構造が、さらに若い層へと確実に伝播しているのだ。
