このままでは、無敵の人はなくならない。それどころかますます増加するだろう。まして、これからは氷河期世代が高齢化し、更なる問題を抱えることになる。 「キャリアも家族も貯蓄も持たないうえ、今後は年齢によって職を失う人も増加することは確実です。今は自己責任論を振りかざしている人も、いつ“向こう側”になってもおかしくない」(前出・社会部記者)
たとえば21年の大阪・北新地ビル放火殺人事件の犯人のようなケースはますます増えるだろう。犯人は当時61歳。破産、無職、孤立の人生で、もはや再起の可能性は消え失せ、「人生が完全に詰んだ」と自覚して、最後に無差別殺戮という異常な行動を選んでしまった事件である。
では、社会はどうすればいいのか。まず認識すべきは、無敵の人やその予備軍を叩いても決して治安は良くならないという現実だ。怒りや断罪は一時的なカタルシスを与えるだけで、次の事件を防ぐ効果はない。
そして何より求められるのはセーフティネットへの理解と寛容だろう。今の社会では生活保護、就労支援、住居支援といった施策の利用は「自己責任」の名のもとに厳しい批判に晒されがちだ。しかし、これらはもはや「弱者救済」ではない。れっきとした「防犯政策」である。
「これからは、追い詰められた人間を社会の内側にとどめることこそが、最も確実な治安対策となるはずです。社会から落ちこぼれた人々を自己責任と切り捨てるのは簡単ですが、社会全体がこうした常識を強く共有すればするほど、そこからあぶれてしまった人間は居場所を失い、凶暴化することになる。手を差し伸べるのは甘やかすことではなく、彼らの手に凶器を握らせないための戦略なんです」(前出・社会部記者)
自己責任論には限界がある。そもそも能力も環境も持たない人間に、責任だけを押し付けること自体が矛盾しているのだ。これは理想論でも綺麗事でもなく、一般市民の安全を守るための、極めて現実的な結論である。
無敵の人を生み出す社会構造が変わらない限り、悲劇は形を変えて繰り返される。彼らが「誰でもよかった」と暴発する時、その「誰か」が自分になる可能性もゼロではないのだ。
初出/実話BUNKA超タブー2025年3月号
写真/写真ACより
