しかし、それでも森林はどんどん伐採され、減少し続けていく。明治政府が植林を進めたのは、江戸時代半ばに山地で焼畑や肥料として利用する採草地が拡大して森がなくなったためだが、その明治時代も輸出産業に伴う木材消費の増加、足尾銅山の鉱毒などにより、再び森林が減ってハゲ山だらけとなった。当時の日本の国土には森林のない荒地が全国各地に広がっていたという。
さらに、昭和初期からは軍需産業の木材需要が高まり、またしても森林の伐採が加速し、戦前戦中も戦争遂行を理由に森林を乱伐。戦後になると、今度は荒れ果てた国土の復興、大陸からの数百万人に及ぶ引揚者の住宅確保のために森林を伐採しまくり、日本中がハゲ山だらけになった。
昭和20年代の台風がもたらした年間の死者数千人という被害は、森林を伐採しすぎたことによる人災だったのだ。
実際、昭和22年のカスリーン台風では、群馬県の赤城山と榛名山に降った400ミリの大雨で大被害が発生したのだが、当時の赤城山は全体の1割がハゲ山で、残りも大半が樹齢5~6年程度のブナなどの広葉樹だったという。そのため、山津波が起きて土砂が利根川に流入、下流の埼玉県栗橋付近で堤防が決壊し、それによって東京都内だけで38万人もの被災者を出した。
ところがスギが植林されて30余年が経過した1981年の台風15号では、590ミリもの大雨が降ったにもかかわらず、榛名山ではカスリーン台風のような被害がまったく出なかった。花粉症が社会問題化したのはこの台風15号が関東に上陸する2年前のことである。
これが治山であり、樹齢30年以上のスギやヒノキが、花粉をまき散らしながら台風による被害を防いでくれたのだ。
花粉症患者は、これでもスギ花粉で鼻水やくしゃみが出てつらいからスギを全部伐採しろというのだろうか。鼻水やくしゃみがつらいのと、災害で家が流されたり、生命が危険にさらされるのを防ぐことのどちらが重要であるか、バカでもわかるはずだ。
花粉症患者は大げさに騒ぐ情弱
そもそも、アレルギー疾患は、アレルギー性鼻炎、気管支ぜんそく、じんましん、アトピー性皮膚炎、アレルギー性結膜炎、食物アレルギー、アナフィラキシー等々と、花粉症のほかにもたくさんある。また、抗原である「アレルゲン」の種類によって引き起こされるアレルギー症状も変わる。
このアレルゲンには、食べ物、薬物、室内のゴミ、ほこり、ペットの毛、ダニ、そして花粉などがあり、これに誘発されて、皮膚炎、ぜんそく、じんましん、鼻水、発熱などを発症するのがアレルギー疾患だ。
たとえば、アレルギー性鼻炎の場合、日本人の5人に1人が悩まされ、鼻水やくしゃみがとまらなくなるなど、その症状も花粉症に似ている。
アトピー性皮膚炎やじんましんの人は、痒くて眠れないことも多く、掻きすぎないように手袋をして寝る人もいる。
ぜんそくの場合はもっと深刻だ。症状がないときでも常に空気の通り道である気道に炎症を起こしていて、普通の人なら気にならない程度のホコリ、わずかなストレスでも発作が起きる。1960年代にはぜんそくの患者数は国民の1%前後だったが、2000年代に急増し、いまや子どもの約6%、大人の約3%、全体で400万人以上になっている。
しかし、こうしたアレルギー疾患を持つ人のなかでも、鼻水やくしゃみが出る程度のことで毎年バカみたいに大騒ぎをするのは花粉症患者だけだ。
アトピーやじんましん、アレルギー性鼻炎、ぜんそくに苦しむ人が、あいさつ代わりに「いや~、この季節、アトピーが大変で」などと話しているのは見たことがない。だいたい、花粉症以外のアレルギー疾患に季節はそれほど関係なく、ほぼ1年中、それぞれの症状に悩まされている。
たったの3カ月、鼻水やくしゃみが出るぐらいのことなのに、花粉症患者だけが自分が花粉症であることを他人にアピールするのだ。その意味不明のアピールは、もはや花粉症を発症しているということを自慢しているようでもある。
そうやって大騒ぎすれば、医療業界もレーザーや注射といった治療法を宣伝するだろうし、製薬業界もいろんな種類の薬を開発する。「花粉症」は製薬業界や医療業界の陰謀ではなく、むしろ花粉症患者じたいが楽しんでいるアトラクションなのだ。
あげくの果てに、言い出したのが「スギを全部伐採しろ」という主張である。花粉症患者はどれだけ堪え性がないのだろうか。鼻水やくしゃみぐらいで大げさというほかない。
文/編集部