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「メロン記念日の給料は普通の会社員と同じ」元メンバー大谷雅恵が生活保護受給して考えたハロプロアイドルのセカンドキャリア

元メロン記念日 大谷雅恵が生活保護受給して考えたハロプロのセカンドキャリア インタビュー
インタビュー社会
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北海道に生まれた大谷さんが歌手を志したのは中学生の時。女手ひとつで育ててくれた母親は、機嫌が悪いと「あんたなんか歌手になれないわよ」と大谷さんの心を傷つけましたが、高校3年生の時にメロン記念日のオーディションに受かると、高校を中退して、上京することも含めて、芸能活動を応援してくれました。

しかし、いざデビューしたメロン記念日の人気は振るわず、オリコンのランキングも63位。正直ハロー!プロジェクトの新グループというだけで、人気が出ると思っていた大谷さんはショックでした。スタッフたちからも心配の眼差しが向けられます。

転機が訪れたのは4枚目のシングル『This is 運命』と出会った時。

「曲を聴いたときにインパクトもありましたし、会社も力を入れてくれて、お前ら頑張らないと上にいけないんだぞって応援してくれました」

それまでメンバーでお揃いにしていた衣装も、それぞれのキャラクターに合わせることで、グループの雰囲気もぐっと変わりました。

「私だったらスカートを履かないでパンツルックにするとかして。そしたらメロン記念日、面白いねってなってきたんです」
通常、ステージ衣装は用意してもらいますが、会社から与えられた予算で自分で衣装を準備する機会が定期的にありました。ところが、大谷さんは毎回予算内に抑えられなかったと言います。

「浪費癖は結構あるほうで、でも自分では無駄じゃないって思ってるんですよ。同じ靴とか履きたくないし、原宿のラフォーレに行って全身買ってたら、予算じゃ足りないので自腹を切っていました」

メロン記念日のお給料は「同世代の会社員と同じくらい」。大谷さんは貯金できないままグループ解散を迎えることになります。

「(貯金できなかったのは)私だけですね(笑)。みんなはちゃんとしてました」

解散後も舞台で演技をする仕事がありました。いままではメンバーも一緒でしたが、ひとりでヒロイン役に抜擢されるようになり、セリフの量が一気に増えます。稽古の時間も長くなりました。

「私は舞台に集中しないとダメなタイプなので、その期間はバイト休ませてもらって、お金はどんどん減っていきました」

気づけば安い家賃の物件を求めて都心から遠ざかって行き、最終的には千葉県の物件に住みながら、アルバイトと芸能活動を続けていました。しかし、千葉に住むと仕事がない日は家に自然と閉じこもるようになってしまい、芸能活動へのモチベーションも下がっていくのを感じたそうです。そこで一念発起して見つけたのが、現在も住んでいる東京のワンルームの物件。貯金はなかったので、引っ越しのために初めて借金をしました。50万円ほどでした。

しかし、借金は最終的に500万円まで膨れ上がります。借金に拍車がかかったのは、ネイリストの仕事を始めるための道具代でした。

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