みな苦しむアイドル引退後の道
「いま、誰でもアイドルになれる時代って言ったら失礼だけど……」と大谷さんが言う通り、アイドル戦国時代を経て、元アイドルが数えきれないほど存在している時代に突入しました。セカンドキャリアに悩む元アイドルがたくさんいるのです。
メロン記念日が解散したのは、大谷さんが28歳の時。
同じくハロー!プロジェクトのアイドルグループであるJuice=Juiceには『25歳永遠説』『チクタク私の旬』など、女性アイドルとしての旬を意識するような曲も作られており、ファンの間では25歳までに卒業する決まりがあるのではないかとの噂が定説のように囁かれていました。
しかし、現に25歳を過ぎてからメロン記念日が解散した大谷さんは、あくまでそれは噂でしかないとはっきり否定します。
「(25歳定年説は)ないです。自分たちで解散を決めてるグループがほとんどだと思うので。私も(年齢は)全然意識してなかったです」
メロン記念日も解散の時期は自分たちで決めたそうです。
「アップフロントっていつまででもいようと思えばいさせてくれて、頑張ってれば応援してくれる事務所なので、だからこそ自分たちで決めなきゃねっていうのはどっかで思ってたんですよ。私たちも大人だし、来年のスケジュール決まる前に言っておこうって」
解散を報告した時、チーフマネージャーは瞳を潤ませましたが、つんくさんも「君たちが決めたなら」と話し、誰からも大反対されることなく意見は尊重されたそうです。
2010年5月3日に解散して、翌日からフリーランスになった大谷さん。カフェのホールでアルバイトをしながら、ライブハウスでの活動や、舞台へ出演するようになりました。
華やかなアイドル生活を経験したにもかかわらず、すぐに地味なアルバイトへと頭を切り替えられたのは、ハロー!プロジェクトの方針のおかげだったかもしれません。
「事務所が社会勉強をさせてくれるんです。1999年の7月に受かって、2000年の2月にデビューだったので、デビューはすぐじゃなくて、その間はzetimaって自社のレコード社で4人とも働かせてくれました。みんな階が違って、私は5階でした」
ほかにも車の送迎ではなく電車通勤をさせるなど、アイドル引退後も、社会のことがわからなくならないようにするのが、アップフロントの方針でした。
「zetimaの仕事で音楽雑誌の担当の方とかに電話を繋いでたので、デビューした後にお会いすることもあって、すごく勉強になりました。それもあってメロンってスタッフさんに愛されてるよねって言われるユニットになれたんです」
取材・構成/姫乃たま
撮影/ごっしー
初出/実話BUNKA超タブー2023年7月号