愛ある風公開説教は楽屋でやれ
人が人に説教するのを聞くのは、本当に気分が悪い。「本人のため」と言いながら、説教する側の個人的感情が見え隠れするからだ。
2020年4月、コロナ禍真っ只中に「美人の風俗嬢が増える」という旨の発言をし、猛批判されたナインティナイン・岡村隆史。公式謝罪文が発表されるほどの大炎上に、相方の矢部浩之は岡村のラジオ番組へ乗り込んで公開大説教。
本来、裏でやるべき説教を聞かせるのは、禊の意味合いもあるだろう。しかし、「謝ってもらったことがない」「ありがとうも聞いたことがない」など、岡村隆史の性格・人格すら否定する言葉を連発した矢部のそれは、説教ではなく個人的感情そのものだった。
デビュー間もない頃、現場でうまく立ち回れない矢部に対し、岡村は「性格を変えろ」と叱咤。その言葉をずっと根に持っていたのか、矢部は岡村に「性格を変えろ!」と吐き捨てた。30年越しの意趣返しだ。
謝ることしかできない岡村に対し、世間様代表よろしくダメ出しする矢部の声は、悦に入っているようにも聞こえた。
その裏には、バラエティー界の寵児として活躍する相方の横で、「おもしろくない」「要らない」「岡村隆史という当たりを引いただけの男」と揶揄されてきた矢部のコンプレックスがあったはず。
そもそも、岡村の失言は、人格否定までされて然るべきものだったのか。「そこまで叩かれるほどのことではない」と、なぜ言ってやらないのか。岡村のメンタルの弱さを最も理解しているのは、相方の矢部ではないのか。
つまりは、矢部も世のクズ同様に、岡村を叩きたくて仕方がなかったのだ。
矢部の冷淡さは、若槻千夏の「ずっと矢部さんが嫌いだった。私がいろいろがんばっても、『あー、そうなんや』と言って爪をかむだけで、まったく助け船を出してくれない。がんばればがんばるほど冷たかった」の言葉も証明している。
冷淡なだけでなく、回し役という立場的にも無能が過ぎる。だからこそ、岡村は常に孤独な戦いを強いられ、神経をすり減らした。それにぶら下がってきただけの男が、機を見るに敏とばかりに復讐を果たすのは、失言や浮気よりも卑劣で浅ましい行為だ。
そんな矢部に対して、「愛ある説教」「岡村さんには矢部さんが必要」と美談にするのはチャンチャラおかしい。事実、騒動から3年が経ち、平静が戻ったなかで2人の仕事ぶりを見て、多くが「やっぱり、やべっち不要だった」と思い直していることだろう。
他人の失敗や愚行を上から目線で非難すること自体、品性に欠ける振る舞いだが、相方の不祥事を自分のプラスに転じさせる、火事場泥棒のような輩も存在する。
騙されないよう、注意したいものだ。