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米軍に焦土にされた悲惨な都市ランキング

社会
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ワースト9位は浜松市。44年12月13日より始まった空襲は記録が残っているだけでも計27回。延べ560機により3076トンもの爆弾が投下されて、犠牲者は累計で3194人にも上った。

確かに浜松には軍施設や軍需工場が多数あったが、理由はそれだけではない。米国の爆撃機はどこかを空襲した後、基地に帰る際に残った爆弾はすべて浜松に捨てて帰るように命じられていたという。

米国爆弾のゴミ捨て場、浜松。悲惨すぎる。

ワースト8位は特攻基地のあった鹿児島市。45年3月18日から8月6日にかけて、計8回の空襲を受けている。犠牲者の累計は3323人。市街地の93%が焼失し、木造物はほぼすべて消え失せたと言われる悲惨さだった。

ワースト7位は横浜市。45年5月29日の昼間の約1時間で44万トン弱の焼夷弾が投下された。案の定、臨海部の軍需工場よりもなぜか人口密集地域が狙われて、犠牲者数は4616人である。

関東大震災から20年余り経ち、ようやく復興を果たしたところでの大空襲。市民の無念さはいかばかりか。

ワースト6位は神戸市。周辺地域も含めると、45年1月3日から終戦までの約8カ月間で計128回の空襲を受けている。着目すべきは2月4日の無差別焼夷弾爆撃で、それまでは軍事関連施設を狙ったものだったのに対して、人口密集地が被害を受けている。これは、後の東京大空襲に始まる市街地掃討作戦の実験的なものとされているのだが……。

日本人をモルモットか何かと勘違いしていたのではなかろうか。

その後、3月17日、5月11日、6月5日の大空襲により、神戸市域は壊滅した。累計犠牲者6235人。この数は「阪神淡路大震災」の死者数とほぼ同じである(6434人)。

ちなみに『火垂るの墓』で節子と清太を戦災孤児にしたのは6月5日の神戸大空襲である。

ワースト5位は主に日本の爆撃機を作っていた三菱重工業名古屋発動機のあった名古屋市。計63回の空襲にて、2579機のB29が来襲。判明しているだけで計1万4500トンの焼夷弾が投下され、被害戸数13万5416戸、負傷者1万378人、死者7858人にて、名古屋市は壊滅した。

名古屋城が炎上するのを見た市民は何を思ったか。

ワースト4位は大阪市。NHK連続テレビ小説『おちょやん』や過去に放送された『ごちそうさん』、『わろてんか』でも描かれていた大阪への大空襲は3月13日未明の爆撃が最初で、以後、7回、計8回行われ、1万283人が犠牲者となっている。

終戦前日の8月14日まで焼夷弾が降ってきていたというのだから、無念である。

以上、ワースト4位までお伝えしたが、どれだけ日本の大都市がB29によって焦土と化したかお判りいただけたであろう。さらに悲惨なワースト3位を紹介する前に、地方都市の多くも壊滅状態に追い込められたことを知っていただきたい。

罪なき一般市民をも殺しまくる

1945年3月12日より計7回の空襲を受けたのは三重県津市。証言によると、焼夷弾が「雨あられのように」投下され、犠牲者は累計で1444人でワースト20位にあたる。

ワースト19位は同年6月1日から7月24日までの間に計7回の空襲を受けた、徳島県徳島市。42年に行われた、「幻の甲子園」(公式の記録なき、全国中等学校野球大会)で優勝した徳島商業の大切な賞状も、空襲によって燃やされてしまっている。

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