なんと19歳なのに大会に出場した選手がいた
1922年夏の大会(第8回)から設けられた出場選手の年齢制限。現在は、該当年度の4月2日時点で、満18歳以下の選手と定められているが、この制限を超えながら特例により、19歳で甲子園に出場した選手がいた。
1人目は、56年夏の大会に出場した米子東(鳥取)のエース、長島康夫。敗戦後、長島は外地からの引き揚げが遅れて、しかも父親が行方不明。56年夏の大会時には19歳になっていて、本来予選にすら出られない状況だったが、この特殊な事情を重く見た高野連は、予選1カ月前に「引き揚げ者の特例」を設けて長島の出場を許可。長島は予選を突破して甲子園へ。ベスト4まで進出した。
2人目は、99年センバツに出場した明徳義塾・森岡エーデル次郎。帰国子女のため大会時には19歳だったが、特例で出場した。
チアガールをローアングルで撮影NHKアナウンサーがお縄に
選手でも関係者でもないが、1993年夏の大会では、取材用の腕章をつけたNHK宮崎のアナウンサー(当時29)が、初出場・近江兄弟社高(滋賀)のチアガールを超ローアングルで激撮。注意しても行為をやめる気配がなかったため、逮捕された。大会中継局のNHKアナの逮捕に、報道各社は大喜び、NHKを皮肉るかのような様々な見出しが各新聞紙面に踊った。
野球部の暴力事件密告を疑われた上尾高校の教諭が自殺
1978年7月。74、75年と甲子園に出場していた強豪校、上尾高校(埼玉)の野球部員が起こした暴力事件を朝日新聞が報道し、野球部は出場辞退に追い込まれた。
この件で、甲子園出場を期待していた同校関係者や父兄が騒ぎ出し、犯人探しが始まる中、事件を外部に「密告した」と疑われたのが、なぜかテニス部顧問だった、中村照雄教諭(当時44)。
教諭が疑われた理由は、事件発生直後、野球部のマネジャーに「これで甲子園は出場停止だな」と言った、というだけのものだったが、教諭の自宅には脅迫電話が相次ぎ、新聞報道のあった2日後に中村教諭は畑の中で焼身自殺を遂げた。遺書はなかったため、いまだ真相はわかっていない。