青森光星学院はレギュラー全員が県外出身者!
いまや青森屈指の強豪校であり、11年夏の大会では、青森県勢として69年の三沢以来、42年ぶりに決勝戦へ進出(準優勝)した光星学院だが、このときのメンバーは18人中12人が大阪、3人が沖縄出身。生粋の青森出身者は補欠に3人いるだけで、実質は、ほぼ大阪から来ている野球留学生や特待生だった。
事実、監督や選手が関西弁でインタビューに答える光景には違和感を覚える青森県民も少なくないようで、光星学院と青森山田は「もはや大阪の植民地」といった県民の声も…。
激戦区の大阪だとどうしても甲子園に出られる確率が低くなってしまうため、1校が突出した他県に野球留学をするケースは珍しくないのだが、生粋の青森県人からすると複雑だろう。
監督のセクハラ発言に部員のオナ見せ 常葉菊川が春夏の甲子園で2季連続セクハラ
2007年春の甲子園優勝校、常葉菊川(静岡)の森下知幸監督は、07年のセンバツ出場が有力視されていた06年暮れ、同校の担当記者として挨拶に来た毎日新聞の女性記者Aさんと、居酒屋で食事。20代で稲森いずみと山本梓を足して二で割ったような美人だったAさんに舞い上がってしまったのか、その後、訪れたカラオケ店で「静岡の恋人は俺に決まりだ」「ここは何だかラブホテルに似ているな」「俺にもう一度恋をさせてくれ」などとセクハラ発言を連発。
さらに、帰り際にはAさんの車に乗り込み、手を握ったり肩を抱こうとしたが、記者に拒絶されると、「恥ずかしがり屋だなあ」と、薄ら寒すぎる勘違い発言。
Aさんは支局長に相談したが、「あまり監督に近づかないように」と言われただけで、受難は続き、同校の野球部部長に掲載した記事の内容について呼び出されて嫌味を言われたり、選手に取材しても答えてもらえなかったり、挨拶を無視されるようになったという。
結果Aさんはうつ病になり、のちに休職。森下監督は事実上の引責辞任に追い込まれた。
続く07年夏の大会では、朝日新聞の女性記者Bさんが、主力選手からセクハラ被害に遭う事件が勃発。朝日では、特派員たる担当記者がチームの宿舎に同宿するのが恒例で、Bさんも同校が定宿にしている大阪府のホテルに泊まりながら、日々の取材をこなしていた。そんな過程の中でのこと。
ある夜、自分の部屋のドアをノックされたBさんがドアを開けると、局部を露出させてしごいている主力選手が立っていた。Bさんは上司に報告。上司は主力選手をしかりとばし、Bさんを別の宿舎に移したが、主力選手は大会が終わってからも、記者の携帯にハアハア電話をかけてきたり、着信拒否にしても、違う携帯や公衆電話からもかけてきたという。
結局、Bさんもうつ病になって休職。
被害に遭ったBさんは主力選手の厳正な処分を望んでいたが、朝日新聞の総局長に「選手はまだ未成年なんだ。お前に彼の将来まで責任が取れるのか」と抑え込まれたという。
結局、主力選手は、校長訓戒の処分のみで退部にもならずに、その後も試合に出続けた。主力選手は中学時代から素行が悪く、地元ではどこも手を出す高校がなかった選手だったが、この件で、ネットでは「オナ見せ王子」の呼び名が定着。
常葉菊川は、春夏連続甲子園出場を果たした一方で、2季連続で、女性記者を休職に追い込むという前代未聞のチン記録まで打ち立てたのだった。