インセルとフェミニズムの共通点
――強い……一方で、ミソジニックな女性差別主義者の男性たちから、柴田さんの発言を利用されるのも、それはそれで不本意だったりしませんか?
柴田 正直、なんとも思わない。実はインセル(※5)の主張なんかは両義的で、表面的には女性差別言説でしかないんですけど、逆走してフェミニズムみたいになってるところがあるんですよ。かつてフェミニズムは、一対一の異性愛の規範的な家庭を、ラディカルに壊そうと闘っていた頃があったんですが、インセルの「すべてのモテない男に女をあてがえ」っていうのもラディカルな破壊です。だって、「人間としてやっていくことはどうでもいいんだ、俺は動物として繁殖したいんだ」って、もはや「人間」であることからの撤退ですよ(笑)。この人たちの意見を100パーセント尊重すると旧来の社会規範は壊れるし、「動物」的欲望も無視できない。
――一部のフェミニストが、男性性の被害者という立場で、インセルを敵視していることについてどうお考えですか。
柴田 いまの権力の非対称性でいうとインセル側のほうがどう考えても小さい。彼らはツイッターで過激につぶやいて、たまに凍結されるくらいじゃないですか。かたやフェミニズムは、ハフポストやバズフィードみたいなメディアをはじめ、日々トレンドワードとして出てくるものです。いま、フェミニズムが必ずしも弱いかと言ったらそうじゃない。各自治体に女性センターはあるし、自民党の政権でも女性活用とか男女平等がアジェンダとして入っていて、政府や学校や会社で“正しいこと”として動いている。組織力も財源だってある。それって権力側に入ってることじゃないですか。
――「気持ち悪い」に代表される感情論や被害者意識、いわゆる「お気持ち」が、ポリコレ的ジャッジメントのベースになっていることに対して反発していると。では、そんな柴田さんが「気持ち悪い」と思うものを教えていただけますか。
柴田 気持ち悪いと思うのは、日曜日にディズニーランドに行ってる家族。「この人たちは、セックスとかしてることを隠しながら、健全な家族っていうパッケージを運営されてるんですね」って。仲人みたいな人も嫌ですね。勝手に人と人をくっつけようとしたりとか、あれのほうがよっぽど社会のハラスメントっぽいよな。あとは、ナラティブっていうんですかね。勝手に物語的に、「ほら、こんなかわいそうな人がいた」って掲げて、社会を良くしようと思ってる人は、わたしの敵なのかもしれないと思うし、それを推し進めるメディアは気持ち悪い。「政治的にこれが正しい、これで誰かを叩ける」って、これまでフェミニズムとかが蓄積していた財産を、メディアが一部都合よく切り取りながら拡散していく状況はすごく短絡的だし、嫌だなと思います。
【前編記事「現代美術家〈柴田英里〉インタビュー:彼女が“暴論”を吐き続ける理由【前編】」はこちら】
(※5)「インセル」……望んでいるのに恋愛やセックスのパートナーを持てず、自身が性的な行為に至れない原因は、対象である相手側にあると主張するインターネット上の人々のこと。
取材・構成/大泉りか
撮影/武馬怜子
初出/実話BUNKAタブー2021年7月号
PROFILE:
柴田英里(しばた・えり)
現代美術家(彫刻中心)・文筆家。1984年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科彫刻領域修士課程修了。著書に『欲望会議「超」ポリコレ宣言』(千葉雅也、二村ヒトシとの共著。KADOKAWA刊)。主な論考に「いつまで“被害者”でいるつもり?──性をめぐる欲望と表現の現在」(『早稲田文学増刊女性号』筑摩書房刊)など。
twitter:@erishibata