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北条義時は策略と暗殺で権力を手にした世紀の極悪人

歴史
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そう、黒幕は義時とみるのが妥当である。しかも暗殺の実行犯も理由をつけて消すのは、北条氏伝統の手法でもある。

さらに、義時の代わりに殺された源仲章というのは、後白河法皇の孫である後鳥羽上皇に仕える、いわば二重スパイ。これも同時に殺す策は凄すぎる。

しかも後鳥羽上皇は親王を鎌倉に送り、実朝の後継者にしようと画策していた。これも潰されたとあっては義時を潰すしかないとなり、義時追討の命を諸国の守護人や地頭たちに出す。政子はすかさず「これは朝廷による鎌倉幕府への攻撃である!」と号令。御家人たちは総勢19万の大軍となって京へ攻め入り、一気に制圧。後鳥羽上皇には前代未聞の戦争犯罪まで追及した。

これが「承久の乱」。

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朝廷が転覆したこの勝利に義時は叫んだ。

「我こそが王に勝る者だ!」

北条義時は策略家というよりも、極悪人と呼んだほうが妥当だ。

 

文/ダテクニヒコ
写真/Wikipediaより(撮影/wilkinson777)
初出/『実話BUNKA超タブー』2022年7月号

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