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鶴岡八幡宮に50万奉納:根本敬の「蛭子能収タブーなし!但し『ぼぼ』は禁句」連載5

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「現実」は過酷であり不条理である。とりわけ死を念頭に考えればヒトはだれもが生きることに対する不安からはのがれようがない。

故に神仏にかぎらないが、現実を越える何か超越的な力のはたらきに向け、すがらずにはおられない。

蛭子さんにはそこが欠落しているのだが、欠落ぶりが半端ではなく、現実を信奉するあまり、現実に従属する時に過激な程の「現実教」の実に敬虔なる信徒となったのだ、結果的に。

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だから、金で人生のほとんどのことは解決すると信じてるし、何より「人生の目的は死なないこと」と認知症発症以前から公言して憚らなかった。

「死なないこと」は願望とか、数歩引いて死なないように健康であるようにとの「心掛け」でこそあり目標とはなり得ないものだが。が、しかし認知症になってからの蛭子さんはあらゆることがあやふやでも、この「人生の目的は死なないこと」への信心は益々深まっているように感じるのであります。

と、最後にその「現実教」信徒たる御大の余談をちょいと。

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蛭子さんのまわりには猫がいたり、犬もそこらにいたりでとりあえずみれば頭なぞ撫でて可愛がっているかにふるまうが、アレは擬態に過ぎない。ペットを飼ったりそれに愛情を注ぐという気持ちも多分もってない。

動物を描いたときの蛭子さんのテキトーさをご存知の方も少なからずおられるだろう。

蛭子さんにとって動物とは豚、牛、鶏、羊、馬ぐらいであろう認めるのは。

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