もう一つは、知っている人(知人の関係者で直接面識がある方ではない)が霊になって登場した例である。その人のプライバシーや名誉に関わるようなことが書かれていて、もし私の知人が読んだらと思うとたまらない気持ちになり、とにかく動揺したのをおぼえている。
非常にマイナーな界隈の話で、たいていの人にとってはどこの誰かわからない人だろうし、かなり昔の話なのであるが、当時その界隈に近かった人であれば誰のことを書いているか明らかで、わからないように書くことは十分に可能なのに、なぜこのような形で書いたのか非常に疑問を感じた。多くの読者にとっては知らない人でしかなく、対象者を特定させる意味がないのだから。
両者とも怪談として特に優れたものでもなく、有料の活字媒体のものなので広がることはなかったが、最近の実話怪談ブームの主軸は動画であり、そこの波及力・影響力は段違いになっている。また、媒体の変化とともに、この数年の日本における人権意識の急激な変化もある。松原氏の一件は、そういったことによって実話怪談の在り方の見直しが迫られていくだろうということの一つの表れであり、いいふうにシーン自体がまとまって欲しいものだと思う。
時代の変化、加齢による志向や心境の変化に伴って、私も過去の実在の事件関係の仕事(15~10年前くらいまでの原稿等)について振り返ったときに自分でもダメだったなとか、今の自分だったらやらない、心理的にやれないだろうと感じるものもある。そういう自分の過去と現在のことを踏まえるならば、この件も決して他人事ではなく、自分自身についても考えていかなくてはならないと感じる。